福岡県糸島市 司法書士 ブログ

職業差別

かつて京都地裁の裁判官は以下のような判決文を書きました。

「一般論でいえばタクシー乗務員の中には雲助(蜘蛛助)まがいの者や賭事等で

借財を抱えた者がまま見受けられる」

これは明らかに職業差別です。

裁判官の個人的な思い込みや差別意識がそのまま表現されています。

この判決の報道に接したときは驚きました。

裁判官という人権意識が高いはずの職業にある者が・・・

しかし、私のこの思いも一種の思い込みなのでしょう。

あるいは、私が裁判官を高く評価しすぎている「差別」かもしれません。

★ 映画「タクシードライバー」のロバート・デ・ニーロ

士業の中にも無意識だとは思いますが、職業差別を犯す人がいます。

「私は元〇〇です。だから信頼できます。」

こういう趣旨のホームページをみたことがあります。

元〇〇(〇〇は職業名)であれば信頼できるのか?

この説明は論理的か?

もちろん、論理的ではありません。

自らが就いていた〇〇という職業を他の職業よりも上に扱う意識があるのです。

ということは、他の職業を下にみているということにほかなりません。

 

実は、私の父母にもこの傾向がありました。

自分自身の職業であった公務員を特別視する人だったのです。

母方の親戚は教員や警察官を特別視する傾向が顕著でした。

大学や高校についても国公立絶対視のような人たちでもありました。

私については、

「私立大学文系学部にしか入れず、民間企業なんかに就職した落ちこぼれ」

という見方をしている親戚もいました。

 

こういう差別意識はどうして生まれるのか?

私が間違いないと思っていることは次のような内容です。

「自分より下」という存在を作り出し、自分の地位が高いことに安心感を得たい。

この思いです。

理由付けが正しかろうが間違っていようが関係はありません。

自分が見下せる存在を欲しているのです。

なぜ、そういえるか?

誰もが、自分の職業や学歴を上に扱うために他人を差別しているからです。

最初に紹介した判決を書いた裁判官もそう。

「元〇〇だから信頼できる」という元〇〇の士業の方もそう。

私の父母や親戚も同様です。

そうなってしまうのはなぜか?

これは、「おそらく」ということになります。

自分自身に自信をもてず不安なのでしょう。

さらに「たぶん」の話を書いておきます。

多くの場合はそうだと思うのですが、自己肯定感が低いのです。

そして、その原因は生育環境にあると私はみています。

私は、自分自身の実体験からこの結論を出しました。

尤も、私はそれに気づくことができたので、父母の希望や親戚の視線を気にしなくなりました。

積極的に無視したり、意図的に彼らの思いに反する行動をとりました。

「なんとかこの環境から逃げよう」

そう思ったのが高1になる頃。

それでも、私の精神の傷は癒えることはありませんでした。

45歳でのうつ病発症につながっていきます。

その病をどうにか克服できた今は、そこそこの幸福感を覚える日々です。

「そこそこ」なのです。「まあまあ」かもしれません。

このくらいがちょうどよさそうな、という意味です。

 

 

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