おい、冗談やろ!
私はこう思いました。
刑事事件における公判前整理手続に被害者を参加させるというのです。
バカバカしいにもほどがある。
これが、私の感想です。
今の議論は、刑事事件の大原則を忘れたような議論でしかないからです。
それに、そもそも刑事事件は国家が犯罪者を裁くもの。
被害者の応報感情を前面に出す場面ではありません。
今のままでは感情司法が促進されるばかり。
大丈夫か???
まず、被告人は無罪推定を受ける立場です。
有罪が前提ではありません。
なのに、今は公判に被害者が参加することができます。
そして意見陳述を行います。
仮に、被告人が有罪であっても、最後の弁解の場に被害者が登場したら・・・
ほんらい考慮されてしかるべき情状について裁判官に伝えることができないかもしれません。
「こんなことを言ってはいけないんじゃないか・・・」
被告人がする必要のない自制をしかねません。
私が知っている事件では、被害者の親族がウソをついて被告人を責め立てました。
語っている事実はウソ。
私にはわかるのです。なぜなら、私が登場する話だったからです。
私も「悪役」にされてしまいました(親切な方法を提案したにもかかわらず)。
弁護士は傍聴席の私を振り返ります。
私は裁判官に伝わるように、ウソの混入を弁護士に合図で知らせました。
事件は、重い刑罰を望む被害者の親族の希望に反し、罰金刑で決着しました。
しかし、この件も最初は検察官は起訴猶予にするつもりだったのです。
検察官に対し、被害者の親族が食い下がり、起訴をするように長時間訴えた結果の起訴でした。
さすがに無罪事件ではないので、裁判官は罰金刑を科しました。
このように被害者側が直接関与することは、真実の発見を妨げかねない側面があります。
上記したように、最後の弁解を躊躇した被告人の基本的人権は保障されたといえるでしょうか?
被害者が刑事手続に参加することには問題が多すぎるのです。
今回は、公判前に参加させようという話になっています。
起訴され公判の過程において有罪の心証を裁判官がほぼ固めた時期ではありません。
スタート前から被害者が参加するというのです。
いまだ無罪の推定を受け、裁判官の心証は白紙の状態なのに。
まずは、有罪であることを裁判官にすりこもうということなのか?
刑事司法の公平性が損なわれる方向に向かいつつあるようです。
私は深い憂慮の念を覚えております。
これでも私は、学生時代には「高橋検察官」と呼ばれたのですが。

★今でもこういう本を時々繙く司法書士であります。
