登記申請書は新人でもベテランでも全く同じものを作る。
司法書士の中心業務である登記はこういうもの。
それゆえ、新人もベテランの申請書をコピペすることで対応できます。
裁判書類作成においても定型的なものはコピペ対応で処理可能。
「工場」と称するような事務所さえあるそうです。
同じような書類を大量生産するという意味のようです。
ところが、この業務スタイルには限界が訪れます。
自分の頭で考えて対応しなければならない業務にぶつかった場合のことです。
コピペに慣れた結果、イレギュラーな事態への対応ができないのです。
コピペをやる人は、受験においてもアンチョコ本しか読みません。
結果的に、判例のフレームワークの使い方や条文の読み方さえ危ういセンセイが誕生。
非常に危なっかしい印象です。
「白い巨塔」(田宮二郎さん主演)で、財前五郎と里見修二が語り合う場面があります。
内科医里見は検査を重ね、慎重すぎるくらいの診察で膵臓癌の疑いを持ちます。
試験開腹手術を財前に依頼。
財前が開腹した結果、ごく初期の膵臓癌を発見し、そのまま患部を切除。
里見は財前の腕前を称えます。これに対して財前は、
「君は長く病理(学教室)にいて、しっかりした基礎(医学)の勉強ができているから」
と里見の研ぎ澄まされた洞察力に敬意を示す。
この場面をみた中2の私は、基礎的な学習は常に裏切らないのだと教えられました。
★ このシーンです。
刑事政策を学ぶ目的で大学に進んだ私は、刑法の基礎理論に惹かれました。
1回生から2回生にかけて刑法に深くはまりこんだのです。
そして、3回生になって法哲学の講義を受けました。
その際に上記の「白い巨塔」の場面を思い出したのでした。
刑法を学ぶ上でも法哲学のような基礎法学の学習が欠かせない。
そう感じて法哲学の講義を熱心に聴講しました。
刑法を学ぶ際にも、歴史的背景や思想史的な部分を重視するようになりました。
とはいえ、すでに自分の将来を諦めていたので、その学習は絶望を紛らすだけのものでした。
それでも、基礎法学の重要性に気づくことができたのは大きかったと思います。
今でも民法に関しては、法社会学的な記述をしっかり読むようにしています。
難しい論点について考える際、そのあたりに答えのヒントがあるのです。
コピペ業務に邁進する人は基礎的な勉強をいつやるのか。
やらないと、業務の発展はありません。
いつまでも同じ書類を、特に何も考えることなく作り続けることになります。
登記申請書は冒頭に書いたように、それでもできあがってしまうので困らないのかもしれません。
私はそれだけではあまりにも退屈なので、今でも基礎を学んでいます。
もしかすると、私こそ進歩がないままなのかも・・・と思ったりしながら。

