2019年の合格後に他の受験生から
「ノートを作ったりしましたか?」
という質問を数回受けています。
ノートを作ったのはたしかですが、意識して作ったわけではありません。
理解した内容を自分の言葉でメモしていった結果、ノートができてしまったのです。
自分の言葉で書いているから読み返すのも楽です。
基本概念の理解、判例の解析などを自分の言葉にする。
この過程で理解と記憶ができるのです。
記憶も意識するわけではなく、自然に頭に残っていくのです。
「ノートをコピーさせてもらえませんか?」
こういわれた場合はOKしますが、必ずつけ加えます。
「自分で書いたものでなければ意味がありませんよ」
飽くまでも私の理解が私の表現で書かれているだけ。
つまり、私専用なのです。
他人様が読むために書いたものではありません。
ゆえに、他人が理解しやすいような工夫は一切していません。
ノートは自分の言葉で自分のために書く。
その結果、1冊に仕上がってしまうというものだと思います。
アンチョコ本はそれに近い側面を持っています。
書いた人なりの理解を本にしているのです。
だから「?」というような説明が堂々と載っています。
研究者が書いた本のように助教や院生が校正をするわけでもありません。
そのせいか誤植が非常に多く、商品としてどうなのか?という次元のものもあります。
誤植で済めばよいのですが、明らかな誤解もそのままです。
アンチョコ本は試験範囲を確認する道具でしかないと私がいうのは、そういう意味です。
大事な箇所や変な表現あるいは説明がうまくないと感じる箇所は、必ず「ちゃんとした本」で確認。
そのうえで自分なりの理解をメモする。
その積み重ねがノートになるでしょう。
そして、アンチョコ本を信用してはいけないことに気づくはずです。
アンチョコ本を信用しなくなった時が合格の時かもしれません。