1983年4月、私は大学1回生。
始まったのは一般教養科目中心の講義でしたが、法律科目の講義も。
憲法は数少ない専門科目の講義でした。
その中で、教授が
「裁判官は米国では“justice”と呼ばれるように正義の体現者である」
と説明しました。
「あれ?“judge”が一般的な表現ではなかったかな?」
そう思っていた私は、友人に
「“judge”が普通じゃなかったかな?」
と訊ねたところ、その友人は
「はぁ?“judge”なんて聞いたこともない。“justice”だよ」
と嘲笑うように答えたのでした。
彼は二年連続京都大学の受験に失敗して同志社に入学したということでした。
九州大学受験レベルの私よりも学力は上だろう。
その彼も憲法の教授も“justice”であると述べた。そうなのかな?
とはいえ、私は釈然としません。
当然ながら英和辞典を調べることになります。
私は、当時は小学館のプログレッシブ英和中辞典を使っていました。
研究社の辞典を使う人が多いので、違う辞典にしたのです。
はたして、“judge”の意味としてトップに「裁判官」とありました。
一方、“justice”においては、裁判官の意味としては5番目の記載。
和英辞典(これは学習研究社のもの)で「裁判官」を調べると、“judge”のみの記載。
つまり、一般的には“judge”が裁判官なのでした。
おそらく、友人は「教授がそう言っているから」くらいの感覚で答えたのでしょう。
彼は司法試験合格を目指しており、勉強に熱意を燃やしているようでした。
それで、私もちょっと自信を無くして調べたような次第でした。
時は流れ、私たちは大学3回生になりました。
夢をあきらめて数か月、私は夢の「代替品」として司法試験を選んでいました。
5月の第二週目の日曜日が二次試験の一発目、択一式試験です。
3回生は受験資格がありますので、私も勉強を重ねていました。
ゼミの教授は刑法の気鋭の研究者で司法試験の考査委員でもあります。
ゼミの後に試験の話になりました。
「受ける人は、時間も限られているので基本を確実に押さえるように・・・」
という教授の言葉の後に、くだんの友人が
「おまえ、商法はどうすんのや?」
と私に訊ねました。
「択一(試験)が終わったら急ピッチで準備する」
「じゃあ、今年は諦めるのか?」
「いや、7月の論文に間に合わせるようには準備するよ」
「俺が言うとんのは択一の方や」
彼は、択一式試験に商法が課せられていると思っている(!!!)
当時の択一式試験は憲法・民法・刑法の3科目です。
まさか、それを知らないで「受験生」とは・・・
私は驚きました。
「択一式に商法なんてないで。勉強してないんやな」
その場には数名のゼミ生がいましたので、彼に恥をかかせてしまいました。
今ならそういうことに配慮し、苦笑してスルーです。
でも、当時は若いがゆえの正義感(“sense of justice”)が勝ってしまったのでした。
その後、4回生になり就職せざるを得ない状況になりました。
司法試験に合格すれば、とりあえず会社や官公庁勤務を避けられたのですが・・・
彼は、いろいろな伝手を頼り大人気の某企業の内定を得て鼻高々。
「この会社に入るために、学生時代のすべてを費やしてきた」
あれ?司法試験合格を目指しとったんちゃうの?
このときは、私は何もいわずに苦笑するだけで済ませました。
卒業後、彼はどうしたのでしょう?
私は彼の消息を知りません。
卒業をもって友人関係が一区切りになるか、継続になるか?
これに関する判断(“judgment”)は自然とできてしまったようです。
もしかして、この場合の判断は“decision”かな・・・


★ 左は、アル・パチーノ主演の映画「ジャスティス」(1979年)
右は、ロバート・デュヴァル主演の映画「ジャッジ 裁かれる判事」(2014年)
それぞれの原題は写真にみるとおりです。
この2本の映画の共通点、それは主演俳優がいずれも「ゴッドファーザー」の出演者である点。
そして、2人とも数々の賞に輝く名優であることでしょう。
ロバート・デュヴァルは今年2月に95歳で亡くなりました。
