1986年、私は21歳で大学4回生。
夏に就職先が決まり、普通なら安心して遊ぶーのかもしれません。
が、私は虚無感に支配された日々を送っていました。
友人にはそれを気どられないように演技をしていました。
きっと私が解放感を味わっているようにみえたに違いありません。
たしか、10月の終わりくらいだったと思います。
別の学部の女性に久々にキャンパスで出会いました。
「つまんなさそうね」
彼女はいきなりそういったのです。
どうやら見抜かれたようでした。
「つまんないね。人生、これからゆるやかな下り坂」
こう答えたことを覚えています。
「でも、なんとかなるよ。環境が変われば、そこに馴染むやん、人って」
たしかにそうかもしれません。
でも、私は長い長い諦めの中を生きている感じがしていました。
さすがに鋭い彼女もそこまでは気づきません。
そのあと、ちょっとの時間でしたがおしゃべりをしています。
でも、その内容はまったく覚えていません。
「また冬頃に話そうか。気分も変わってるかもしれへんし」
といわれたことを覚えています。
冬になっても気分は変わりませんでした。
キャンパスで顔を合わせる機会はなく、お互いに電話もかけませんでした。
明けて1987年、彼女からの年賀状には
「与えられた環境の中に幸せがみつかりますように」
とありました。
春を迎えて卒業式の前日、彼女と会う機会がありました。
その際は、すれ違っただけ。
お互いに「じゃあ、またね」としか口にしていません。
「また」の機会はいまだに訪れぬままです。
彼女は私の何に気づいていたのか?
ちょっと訊いてみたい気がしなくもありません。
でも、いまさら訊いても仕方がないとも思います。
★ 映画「いちご白書」から
主演のブルース・デイヴインソンは、小学生の頃の私にとっては「ウィラード」のお兄さんでした。
★ ブログタイトルの「たそがれ」は、当時の私の気分を表現したもの。
年代に合わせて1986をつけてみましたが、なにをもじったかおわかりだと思います。