娘代わり
私には子供がいません。
いないことで寂しいかといえば,そうではありません。
自分自身が親として子供がいる生活を送ったことがないので,
いる生活といない生活の比較ができないからです。
私に子供がいれば,私はロクな育て方をしなかっただろうと思います。
子育てには親の影響が出ます。うつ病患者の再生産になったに相違ありません。
その私がうつ病療養中に迎えた娘代わりがこの方です。
高橋ノワールです。 今年9歳を迎えます。
外猫のベルンハルト・グリュンを加えて3匹の猫に囲まれている私ですが,
唯一の高橋姓の猫がこのノワールです。それは娘代わりだからです。
黒猫への義理
ノワールと出会ったのは,古賀市にある猫カフェです。
そこは保護猫の里親探しを行っている店で,私はノワールに一目ぼれしました。
我が家にやってきたのは平成25年2月です。
我が家になじむことができるかどうか,私たち夫婦との相性はどうかを確認するためのトライアル期間に,
推定で生後半年くらいのノワールは盛りがついてしまいました。
迎えることを決めていたものの,正式譲渡前に手術と相成りました。
その後, 3月11日に正式に家族になりました。
当初は妻に抱かれて甘えていたので,ノワールは妻を第一に愛する猫になるのか・・・と少々寂しく感じていました。
昭和63年から平成元年の前半にかけて,私はメスの黒猫と仲良くしていました。
当時はマンション住まい。そこのベランダにやってくる「ブラックエース」と楽しく過ごしていたのです。
しかし,ブラックエースは忽然と姿を消しました。私の世話の仕方が悪かったのか?
それからずっと黒猫にかんしては,いつか黒猫に満足できる生活をさせてやりたいと思っていたのです。
ようやく黒猫への積年の義理を果たすことができそうでしたが,妻にべったりということでいいのか?
ちょっと悩みましたが,杞憂でした。
ノワールは私にスリスリと甘え,夜の書斎に「やっと二人になれたわね」という感じで訪ねてきます。
妻は「女になっている」といっています。
メス猫ならではのツンデレ
ノワールが私を愛しているのは間違いありません。
送ってくる視線も妻に対するそれとは違います。
しかし,私にくっついて寝たり,抱っこされることはありません。
撫でて~と甘えてくるものの,それ以上は必要ないという態度です。
今は,屋内のどこかで鳴いて,私がそこへ行くと,逃げ出し,リビングの椅子にかけあがって,
そこで「撫でて~」というポーズをとることが日に何度もあります。椅子取りゲームのような
遊びになっています。
以前は鳴いて人を呼ぶということはありませんでしたが,どうやら同居猫のやり方を学んだようなのです。
このノワールの同居猫こそ私の人生において最高の出会いとなった相手,そして最大の恩人です。
この猫に関しては別の機会の紹介します。
猫と暮らして
私にとって,猫との生活はうつ病の悪化を防ぎ,生きる気力の源となりました。
猫がいなければ,今頃私はここにいないかもしれません。
その猫の要望には全面的に応えています。
結果的に旅行には行かなくなりました。旅は楽しいのですが,猫と過ごす時間の方が大切です。
猫と暮らすようになり,私は些細なことでは怒らなくなりました。
何事もとりあえず笑って受けとめるような余裕が生まれたようにも思います。
そして,猫が教えてくれたものがあります。
それは「愛」でした。