結論からいえば、分断しません。
仮に、分断されたと感じるのは・・・
それは、その人のキャリアがあまり評価されていないからです。
周囲が、A姓のaさんが婚姻によりB姓になったら別人と認識する。
A姓時代の「実績」はなかったことになってしまう。
つまり、aさんはその程度にしか認識されていないということなのです。
その実績も、そして、その存在も。
憲法の有名な研究者に長谷部恭男教授がいらっしゃいます。
この方の妻は長谷部由紀子教授。民事訴訟法の有名な研究者。
由紀子教授のキャリアが分断したでしょうか?
荒井由実さんが松任谷由実さんになり別人と認識されてしまったか?
デキる人には姓の変更など些事なのです。
有名人のことを例に挙げられても・・・という不満の声があるかもしれません。
そこで、私の身近な例を挙げてみます。
私の大切な親友はS姓のhさんでした。
ある損害保険会社の地方の出先勤務です。
当時でいう一般職ゆえ異動はその地域限定。転居を伴うような異動はありません。
つまり、昇進昇格は限定的な扱いをされてしまう立場でした。
当時の彼女はデキる社員として全国的に有名でした。
新人で福岡に配属された私もその名前をすぐに耳にしました。
「コワーいおねえさん」だと同僚の女性社員や先輩男性社員から聞かされました。
彼女は結婚し、M姓になりました。
それによってキャリアが分断するようなことは起きていません。
M姓になろうとS姓であろうとデキる社員としてその名を轟かせていました。
部門内での委員会で委員長を務め、総合職の社員にもビシバシ指摘をしていました。
彼女がM姓になって間もなく私は彼女と仕事を共にするようになりました。
「コワーい」というよりは「キツメ」のおねえさんでした。
そして、とてもやさしく気遣いのできる素敵な人でもありました。
以前、私は「Mさん」と呼んでいました。
でも、今は敬意と親しみを込めて「h様」とファーストネームで呼んでいます。
彼女は以前から「高橋クン」「高橋さん」とは呼んでくれませんでした。
「英樹ちゃん」という子供扱いのまま36年経過です。
実をいうと、選択的夫婦別姓は不人気です。
賛否を問えば(マスメディアの問い方にも色々問題はありますが)、賛成がやや多い。
でも、賛成者の90パーセント以上が「別姓を選ばない」というのです。
つまり、ごくわずかなニーズしかないのが実態です。
現役の学生に訊ねても、別姓を選択したいという人が教室に誰もいなかったみたいなことも。
どうです? 不人気でしょう?
ならば、制度の根幹をいきなりいじるのはどうなのか?
寧ろ、少数のニーズを満たすような手当をするのが普通の対応でしょう。
そのうえで、機が熟すのを待てばよろしい。
野党は選挙で自民党攻撃に「選択的夫婦別姓」を使っています。
野党はこの問題を道具扱いしているようで、不快感を禁じ得ません。
我々の姓の問題です。真面目な、そして実情に即した議論を望みたいものです。
よくいわれるのは、我が国は男性優位社会だということです。
それが男性の姓を選ぶことをルールのようにしてしまっている、と。
これも印象操作がひどい話です。
たとえば、オーストリアは、21世紀になるまで夫婦は男性の姓しか選べませんでした。
フランスは、1970年代には変わったのですが、離婚後の親権者は父親限定でした。
我が国ではそういうことは一切ありません。
たしかに、結婚すると男性の姓を選ぶ例が圧倒的に多いのです。
でも、これは制度のせいではありません。
ある種の傾向であり、慣習化してしまっているということだと思います。
今の憲法では、姓は男女どちらのものでもよく、親権者は父母いずれでも可です。
進んでいるはずのヨーロッパの方が、圧倒的に遅れていた。
選択的夫婦別姓制度を導入したイギリスでは、ほとんどのカップルが男性の姓を選んでいる。
この事実を知る人が少ないのは、マスメディアの情報操作のせいでしょう。
キャリアの分断にしてもそう。
正確な報道などまったくしていません。
「女性のキャリアの分断を招き、社会進出の障害になっている」
マスメディアはこの嘘を好んで使い、選択的夫婦別姓が正しいかのように報じます。
我が国のカップルが、その自由な意思で選んだ姓を否定している。
実に人をバカにした話ではありませんか。
ちなみに、両親に対する葛藤を抱えていた私は、婚姻時に妻の姓を選びたいといいました。
妻の両親は大反対、妻も高橋姓を望みました。
結果的に、私は今も俳優の高橋英樹さんと同じ名前のままです。