私が同志社大学法学部進学を決めたのは、刑事法を学ぶため。
映画「衝動殺人息子よ」で「中谷勝(なかやまさる)」教授の存在を知りました。
インターネットなどで情報を簡単に得られる今とは違います。
どの大学にどういう教授がいらっしゃるのか? 研究分野は?
そういう情報がありませんでした。
高校では「九大に行け」をマントラのように教師が唱えています。
自宅でも母親が「九大九大」とうるさいのです。
母親が満足して鼻高々の姿をみたくない気持ちもありました。
たまたまテレビで放送された映画がきっかけになったのです。
「これだ!」
青年は決意を固めました。
大学に入ると、中谷教授はいらっしゃらなかったのです。
大谷實(おおやみのる)教授が中谷教授のモデルでした。
私は、その門下生となって研究に勤しむ人生を予定していました。
しかし、19歳の冬に諦めてしまいます。
幼い頃から両親に対して「おねだり」はできないと思い知っていました。
「やりたいことを我慢する」日常を送っていました。
褒められたことも一度もありません。
親の愛というものがよくわからないままでした。
愛情をかけてもらっている実感はありませんでした。
ただし、学費に関しては出してくれると思い込んでいました。
大学院進学は母親から「絶対に行かせない」といわれ、あっさり諦めました。
幼い頃から希望を口にせずに諦めることについては、身についていました。
アルバイトで学費を稼いで・・・という根性も湧きません。
諦めることだけが上手になっていたようです。
希望を口に出して完全に否定されるーショックは大きなものでした。
やる気のない会社員になり、日々鬱々と過ごしました。
楽しかったのは入社2年目から4年目だけ。
生涯の友ともいえる女性と出会い、また妻とも結婚した時期です。
私は45歳でうつ病になり、回復後は司法書士になりました。
扱っているのは家事事件が中心になっています。
ほかには破産事件や一般民事事件も。
「民事の専門家」といわれる(だけで、必ずしも専門家とまではいえないのが実態)司法書士です。
刑事事件に関与することはありません。
刑法や刑事訴訟法、そして刑事政策と犯罪学とは縁遠くなってしまいました。
刑事法を志向した私が、学生時代にまったく興味を抱かなかった家事事件を扱っている。
自分でも笑ってしまいます。
でも、今は家事事件を扱うことを光栄に感じています。
個々人の内向きな悩みに応えるー仕事としては意味があるものだと思うのです。
民事訴訟法を学ぶ面白さにも気づくことができました。
投手としてやっていくことを断念して打者になる。
こういう人はプロ野球界ではそこそこ存在します。
私もそれに似ているのでしょうか。
野手転向は間違いではなかったー今はそう思っています。