司法書士の中には司法試験コンプレックスに苛まれている人がいます。
これは、確実にいるのです。
どういうところで気がつくか?
以前にも触れたのですが、
「争いに関与することが嫌いだから司法書士を選んだ」
と司法試験ではなく司法書士試験を受けた動機を述べる例。
そういいつつも、簡裁訴訟等の代理権を取得していたりします。
論理性が重視されるはずの法律事務をやっているのに矛盾してないか?
中には、司法試験に合格したら
「2年も司法修習期間があり、その間は食えない」
という理由で司法試験を受けなかったと説明する人もいます。
ちなみに、その人が「司法試験か?司法書士試験か?」と悩んだ時代は21世紀。
修習期間は2年ではありません。
それに、手当が支給されていました。
だから、豪奢な生活をしない限りは「食えた」のです。
適当なことを述べて司法試験を「回避した」理由づけにするとバレます。
素直に
「学力的に無理だと思った」
「内容をみて太刀打ちできないと思った」
と言った方がよろしい。
言い訳を重ねる自分の姿が他人からどうみえるか?
想像力を働かせなければなりません。
そのわりには、他士業に対しては
「○○士なんかに利用されたくない」
「★★★士ごときにいわれたくない」
というようなことを口にする人もいます。
プライドだけは一人前以上。
これらの発言に接するたびに、司法書士法の
「品位に関する定め」
が気になってしまいます。
特殊な法律事務の専門家であるというプライドだけで十分でしょう。
他士業と「比較」して優れている点を探す必要などありません。
それぞれ違う仕事なのだから、気にするまでもないでしょう。
一方で、司法書士試験に合格した段階で
「これで司法試験も射程内に入った」
という過剰な自信を示すような人にも出会ったことがあります。
そのわりには、「起訴便宜主義」みたいな常識的なテクニカルタームに
“?”
という感じだったりです。
自信を持つことはおおいに結構だと思います。
でも、それを周囲に誇示すると滑稽になることを想像できなければなりません。
想像力は大事なのです。
だって、司法書士は人と向き合う仕事です。
想像力を働かせることができなければ、人を理解できません。
相手の内心や期待感あるいは焦燥感、怒り、そして哀しみや寂しさ、それらの素になっているもの。
これらを想像しながら話を引き出すのが「仕事」ですから。
司法書士試験合格者はコンプレックスもプライドもたくさん。
ちょっと足りないのが想像力かな。
この数年間の印象です。
★ コンプレックスとプライドゆえにこのご夫婦。
わかる人にはわかると思います。想像力がなくても。