私は死んだそうです。
10年ほど前に私の死を悼む葉書が届きました。

★ 差出人名は消しています。
送り先は私の実家宛てで、当地に転送されてきたのです。
差出人は、高3のときのクラスメイトだった女の子。
この人とはある時期まで親しくしていました。
彼女は東京の私大に進学し、私は京都にいましたが、交流は続きました。
大学卒業後は疎遠になり、その後の初めての連絡時点で私は死んだことに。
こういう間違いがなぜ起きるのか?
その事情は、葉書の裏を読んだらわかりました。
ひどい話です。
それで、ここには書かないことにします。
彼女は、素直に誤情報を信じただけ。
罪はありません。
でも、死んだのは事実に近いような気もします。
“To say good-bye is to die a little”
レイモンド・チャンドラーは名作「長いお別れ」の中でこう書いていました。
「さよならを言うことは、少しの間、死ぬことだ」
というのが清水俊二さんの訳だったと思います。
「さよならを告げることは、人と人との関係におけるお互いの死のようなものだ」
というように意訳してみてもよさそうな気がします。
たしかに、高校の同窓生とはまったくつきあいがありません。
彼らにしてみれば、私は死んでいるのと同じだった。
こう考えてもいいでしょう。
それにしても、虚偽情報を流した人は幼稚です。
何人か「被害」に遭ったのではないでしょうか。
その人の行為は万死に値するのかな?
と思わなくもありませんが、相手にする価値はなさそうです。
私の中では「死んだ人」ということにしておきましょう。
さて、連絡をくれた彼女ですが、意外なところに住んでいました。
福岡から東京に進学で移り住み、その後はどうしていたのか?
そう思ったのは一瞬のこと。
彼女との関係も既に「死んでいる」ので、それを訊ねることはしませんでした。
彼女には健在である旨の手紙を送り、彼女からはメールが届きました。
そのメールはとっくに削除してしまい、残っていません。
彼女といつか偶然に再会することがあったとしても、通りですれ違うだけでしょう。
“I suppose it’s a bit too early for a gimlet.” とはどちらも言わないはず。
実は、写真の葉書も処分したつもりでした。
古い書簡を整理していたら見つかったので、当ブログでとりあげてみました。
