福岡県糸島市 司法書士 ブログ

「どうせそこらのぼんくら息子じゃろ」

高校1年生の4月でした。

下校時に近所のおばさんに会いました。

普通に挨拶をします。

「あの、英樹ちゃん、本当に東筑紫なの?」

いきなり問われました。

「いや、東筑です。東筑紫は女子高なので」当時、東筑紫学園は女子高でした)

「あら、ごめんなさい。それで、本当に東筑に入ったのね?」

「ええ、本当です」

たまたま、思い出したのですが、笑えるやりとりです。

「本当に」を2回もいわれています。

高校受験前には、このおばさんに

「若松高校どう?」(合格できそうか?というニュアンス)

と訊ねられたので

「若松高校は受験しません」

と答えています

若松高校を受験しないということは、つまり序列的にそれより低い高校に行くのだ。

なぜか人はそう考えるようです。

「本当に」を繰り返すということは、信じ難いということでしょう。

そうすると、私はそれほどお勉強ができるお子様だとは思われていなかったようです。

「前から思ってたのよ、英樹ちゃんは頭がいいから、いい学校に行くだろうって」

さすがに、この言葉には15歳の私も苦笑してしまいました。

とってつけたようなお褒めの言葉は白々しくて呆れるほかないのです。

でも、このおばさんには何かとよくしてもらいました。

だから、全然怒っていません。

その後、年月を経て、このおばさんは独居していた母の世話を焼いてくれました。

これはかなり助かりました。

その過程で、母との間にある葛藤を話したことがありました。

信じられないようでした。

品行方正で勉強ができ大学にも進んで大手企業に入った孝行息子。

父母の愛情いっぱいに育てられ、麗しい親子関係。

こういう家族のように思っていたようです。

ただ、父と母の間がよくないことには気づいたようでした。

それは父の死の数年前くらいのことで、母の父に対する冷淡さに「驚いた」といっていました。

入院している父を見舞おうともしない母の姿を怪訝そうに見ていたようでした。

東京から何度もやって来る私に「仕事はいいの?」と訊ねたこともあります。

「よくはないけど、仕方がないので」

私はこう答えるしかありませんでした。

母のことを話す中で、私の

「褒められたことなんて一度もないですよ」

という説明に唖然としていたのを覚えています。

実態は、家庭に息苦しさを感じ、圧迫感で逃げ出したかった息子です。

「よそのことはわからないものね」

というおばさんに

「だって、おばさんは僕のことをそこらのぼんくら息子だと思っていたくらいですからね」

と混ぜっ返したくなりましたが、できませんでした。

なぜ冗談をいえなかったか?

それには事情があり、ここには書けませんので想像してみて下さい。

 「仁義なき戦い 代理戦争」の1シーン

  杉原(左端の鈴木康弘さん)に「杉原のおじさん、こんちは~」

  とすれ違う際に挨拶した若者(奈辺悟さん)を右端の打本(加藤武さん)が、

  「どうせそこらのぼんくらじゃろ」 とバカにするシーンです。

  そのあと「ぼんくら」は拳銃で杉原を射殺します(鉄砲玉として杉原を確認するために声をかけた)。

      広能昌三(文太さん)と打本の間で笑顔をみせているのはプロレスラーの若松(大前均さん)。

     この若松は力道山がモデルです。

★ 迫力ある射殺シーン

  「そこらのぼんくら」が村岡組長の舎弟頭杉原を殺害。

  これが村岡組の跡目問題から広島を二分した抗争の幕開けになります。

  この「ぼんくら」さんにも実在のモデルがいるのですが、その後どうされているのでしょうか。

 

ブログ一覧へ戻る

お電話

メール

ページの先頭へ
Loading...