昨年末に読んだ本に「私のイサベル」(早川書房)という小説があります。
スウェーデンのミステリです。
この小説は、母と子の関係に焦点を当てた作品です。
私の悩みというか心情に近い表現が随所に登場し、心に残りました。
特に以下のくだりは私そのものの話でもあります。
「簡単に自分を隠すことができるからだ。
他人の目に映る自分を演じればいいからだ。」
私は、年代毎にキャラクターを設定して演じていました。
小学生時代と中学生時代、そして高校生時代はそれぞれ違う設定にしていました。
小学生時代は、いわゆる「よい子」です。
学校で何か問題を起こせば、母の激しい怒りを招きます。
自己防衛の手段として「よい子」になりました。
中学生時代は「リーダー的存在」。
色々な役員になり、スポーツにおいても目立つ活躍を心掛けました。
これは母への迎合です。
そして、高校生時代には逆に目立たないことを心掛けました。
18歳で家を出るための準備に徹したかったのです。
ほかのことに関わり合っている余裕はありませんでした。
では、18歳になって晴れて家を出た結果、解放されたか?
それがそうでもなかったのです。
私は永い間にわたり母の目を気にするような習慣を続けました。
結局のところ、なにか大きなきっかけがないと心理的な束縛からは逃れられない。
そういうことだと思います。
本作品ではなにが起きるか?
それは読んでのお楽しみなので、ここには書けません。