福岡県糸島市 司法書士 ブログ

女性活躍のための選択的夫婦別姓?

連合の芳野友子会長はこう述べています。

現行の夫婦同氏の原則は、

「男女が対等ではなく、女性の活躍の阻害要因になっている」。

だから選択的夫婦別姓制度を導入せよ、というのです。

私にはまったく理解できません。

男女が対等でない・・・?

「夫婦同氏だと男女は対等ではない」そうです。

なぜ?

理由の説明はなされていません。

男性の姓を選択する夫婦が多いことを非難しているのでしょう。

でも、これは夫婦の自由な選択の結果です。

この非難は、多くの国民を非難したことになります。

芳野氏ご本人はお気づきではないのでしょう。

我が国は男性の姓を強制する法制ではありません。

女性が男性の姓を選ばされているという前提に芳野氏は立つのでしょう。

仮に、そういう前提事実があるとします。

では、選択的夫婦別姓制度を導入すれば、それを解決できるのか?

たぶんできません。

完全夫婦別姓ではないので、おそらく男性の姓を選ぶ傾向に変化は起きないでしょう。

また、別姓にすれば「対等」なのでしょうか?

芳野氏の論は、今の夫婦が対等ではないという大前提に立っています。

この大前提自体がかなり怪しいのではないか。

選択的夫婦別姓制度を導入したいのではなく、現行制度を否定したい。

「女性の活躍」を持ち出す人たちは、こういう立場ではないかと感じています。

夫婦別姓が可能になれば女性が活躍・・・?

同様に、選択的夫婦別姓制度を導入すれば、女性が活躍できるのかも疑問です。

選択的夫婦別姓制度になれば、女性が活躍できるという理由も説明されていません。

制度導入により男性が社会労働の中心を担う現状が急に変わるとは思えないのです。

芳野氏の発言には論理性がなく、私には理解不能です。

仮に、選択的夫婦別姓制度になったとします。

女性が急激に社会進出を果たすのか?

選択的夫婦別姓が、女性の労働環境を一気に整えることは考え難いのです。

実は、今も女性の社会進出は進みつつあります。

様々な分野で女性の割合が高まっています。

今は夫婦同氏の原則に従っているのに。

芳野氏は、現在の女性の活躍を評価できていないように思われます。

また、女性が社会で活躍する場を増やしている現実をみていないようです。

 アマル・クルーニー弁護士

  国際法及び人権分野に関してはオーソリティとされる方です。

  旧姓はアラムディンです。俳優のジョージ・クルーニーと結婚後に夫の姓を名乗りました。

  人権分野専門の弁護士としてのキャリアは分断されることはありませんでした。

  人権専門の弁護士ですが、夫の姓を選択しています。男性の姓を選=女性の人権侵害ではないという証でしょう。

女性の活躍の場を広げるには・・・

既に当ブログでも述べましたが、男女の役割分担には合理性と歴史的背景があります。

だからといって、女性はみな家庭にとどまるべきだとは私は思いません。

子育てが女性のみの任務だとも思いません。

社会で働きたい女性は働くべきです。

同時に、社会で働くことに不向きな男性は無理をしてはいけません。

家事が得意なら主夫になることもあっていいでしょう。

問題は、社会一般の考え方あるいは意識です。

女性が外でバリバリ働いて、家では家事も中心でこなす。

これには無理があります。

パートナーの男性は家事を分担できる能力を身につけるべきでしょう。

夫婦あるいはパートナーが、それぞれ役割を分担する。

こういうシンプルな考えの下、お互いの志向する生き方を上手に合わせる。

家事志向の女性は、社会で働くことを男性に任せる。その逆もあり。

料理が得意な男性は料理を、掃除が得意な女性は掃除を担い、共に社会で働く。

こういうケースも当然あるでしょう。

つまり、「家事は女性がするものだ」という社会一般の認識が変わる必要があるのです。

このことも述べました。

夕方の時間帯に訪れる人は、

「奥さんの忙しい時間帯にお邪魔してすみません」

と私にいいますが、的外れなのです。

料理は私の仕事。

私が夕食の準備を始める忙しい時間帯に訪れたので「ごめんね」というべき。

でも、誰もが夕食の準備は妻の仕事だと思い込んでいます。

こういう状況の下で選択的夫婦別姓制度を導入しても

「女性の活躍の阻害要因」が取り除かれることはあり得ないと思います。

「男のくせに働きもせずに・・・」

男が働くのは当たり前のことなのか?

30歳くらいで家事をやっていれば、こういう謗りを受けることは間違いないのです。

これが社会一般の意識ではないでしょうか。

意識の変化が慣習を変える

そういった旧来から維持されてきた社会の意識はそう簡単には変化しません。

選択的夫婦別姓制度を導入しても同姓を選択する夫婦が多い英国はその例。

諸外国においても、それほど別姓が選択されていません。

これらの事実は慣習が変化しにくいものであることを示しています。

そうすると、我が国で制度を導入しても、限定的な利用に留まることは予想できます。

そういう予想が可能なのに、家族制度の根幹を動かすのか?

子の姓についての議論はまったく進んでいませんが、大丈夫なのか?

こういう指摘を受けるのは至極当然なのです。

制度を変えれば意識が変わるという意見もあるでしょう。

でも、それは上から意識変革を押し付けることになります。

自由を尊重するのであれば、ボトムアップを待つべきでしょう。

つまり、慣習に変化が起きたら法改正をするということです。

 

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