つきあいというのは本当に難しいものだと思います。
こちらが「つきあいたい」と思っても、相手はそう思っていないことがあるでしょう。
その反対も当然ながらあるのです。
「あいつどうしてる?」
「知らんよ」
「え?仲よかったじゃないか」
「あの頃は一緒に楽しくやっていたけどね」
「じゃあ全然?」
「うん。卒業後は全然だね」
こういうことは珍しくありません。
「あいつ」からもつきあいを継続したいようなアプローチはありませんでした。
こちらもそう。
つまり、お互いがお互いを必要としなくなったと判断したのです。
一時期はバカ話をする間柄でも、その域を出なかったのです。
「男同士の友情なんてはかないものなんだな」
男同士であろうと男女の間であろうと、関係はすべてはかなさがあります。
恋愛も同じで、こちらが求めても応じてもらえないことはあるでしょう。
その反対もあります。
男同士の友情なるものが特別視され過ぎているのかもしれません。
実は存在しないようなものを存在すると信じているような話なのか。
いずれにしろ、人と人のつきあいは難しいのです。
おそらく、誰もが何らかの基準で「継続」か「解約」を判断しているはずです。
私の場合は、それが「渡世の義理」というものなのです。
私が設定する基準です。相手が知るよしもありません。
こちらの基準で切った相手から「どうしても会いたい」といわれたらどうするか?
黙って会うーこれが私の渡世の義理の通し方です。
もっとも、それでも会う気がない人というのは存在します。
やくざ社会でいえば、前者は「破門」、後者は「絶縁」です。
私が破門されたり絶縁されていることもあるでしょう。
お互いが平等に選択権を行使する。
ドライな書き方ですが、ひとづきあいはこういうものだと思います。