兵庫県や東京都の知事選挙における選挙違反問題が世間を騒がせました。
これらはいずれもSNSがからむ選挙運動に起因しています。
この問題と同じように政治に関する動画が問題視されつつあります。
遅きに失した観がありますが、「問題がある」ことを周知するのはよいことです。
なにが問題なのか?
それは、いわゆる「切り抜き」あるいは「切り取り」による編集です。
特定の政治家あるいは政党への支持を拡大するために、都合よく編集。
反対に、特定の政党を貶める目的で編集。
インターネット上の動画は、マスメディアの切り取り報道同様にひどいものです。
そして、動画の問題はマスメディア以上に「信者」を作ってしまうことかもしれません。
特定の政治家や政党の主張を繰り返し視聴し、心酔してしまう人が少なくないのです。
他の情報には触れなくなり、その関係の動画ばかりを視聴するようになります。
つまり、「自己洗脳」が始まるのです。
「恥を知れっ!」
と某市長(当時)は叫び、それが世間では快哉を浴びました。
が、恥ずかしいのは叫ぶ人の方でしょう。普通ならそう感じます。
大人ならそういう行動はとりません。
けれども、都合よく編集されると正義の味方にみえてしまうのです。
歴史を枉げた説明を滔々としている政党の動画があります。
「完璧な論理的説明だった」
「反対者を完全に論破した」
と支持者は得意げでした。
私が強く勧められて視聴した結果は、
① 非論理的で辻褄が合わない点がいくつもある
② 反対の立場からの批判には直接答えていない
というレベルで、これを論理的だと感じた人がいかに洗脳されているかを知ったのでした。
★ 商売になっています。
動画は情報が一方通行で流れ込むばかり。
立ち止まって「?」と考える時間がありません。
この種の動画に簡単にひっかかってしまう人は、おそらく本をあまり読まないのだろう。
そう思います。
本を読んでいると、一旦読み進めるのをやめて考える時間が必要です。
批判的に読むこともできます。
情報の流れ込みを自分でコントロールできるからです。
映像と音声が延々と続けばどうなるか?
1995年に事件を起こした宗教団体の信者を想起しないわけにはいきません。
グルから「布施するぞ布施するぞ究極のお布施をするぞ」といわれているのと同じなのです。
今後は動画の中に「〇〇をポアすることが正しいのだ」というようなフレーズが登場するかもしれません。
なにが起きてしまうのか? ちょっと心配です。
動画サイトには色々なコンテンツがあります。
私が利用するのは、音楽関係だけ。
古いライヴ映像を探したりするくらいです。
仮に、動画を使って何かを学ぶ場合があるとしても・・・
その後は読書による自学自習に移行するでしょう。
学ぶには立ち止まって考える時間が必要です。
もしかしたら、読書習慣がある人は、動画の情報にひっかからないのかも。
本を読む人が少なくなっている今、動画は政治的な面で脅威になりつつあります。
なお、私は、司法書士として動画による説明や宣伝を一切行っていません。
今後もその予定はありません。