全国で書店が減少しています。
その原因のひとつにはデジタル書籍の普及があるといわれています。
このデジタル書籍ですが、私は(大)嫌いです。
あれは書籍ではありません。だから書物ではないのです。
本は、その手触りを含めた装丁まで合わせて一冊の本。
デジタル書籍にはそういう本の感触や存在感が一切ありません。
本が好きな人はデジタル書籍には見向きもしないといいます。
反対に、デジタル書籍を好む人に読書家はいないともいわれます。
なんとなくわかります。
私は、条文を読まない日がないのと同じように本を読まない日はありません。
本を毎日読みます。
それは、読まないではいられないからです。
目の前にある本が私を誘うのです。
私は、読みたい本を手に入れたら、カバーも奥付もすべて鑑賞します。
目次のつくりなどもじっくりみます。
カバーの紙質や色合い、デザイン。
挿画だけを鑑賞することもあります。
すべて揃って一つの作品です。
デジタル書籍ではこういう捉え方はできません。
目の前に「本という形」がないのです。
パソコンやスマホの中に消えてしまいます。
しっかり通読し、さらに再三読み返すことがないような本ならデジタルでもいいかもしれません。
しかし、自分が内容を熟読玩味するための本はデジタルでは困ると思います。
あのフレーズはこのあたりに書いてあった・・・と勘でページをめくることが可能です。
デジタル書籍ではそういうことはできません。
大事な一節が全体の中でどの辺に位置付けられているか?
これがわかりにくいのです。
本を読む人にとっては、これは致命的欠陥でしょう。
本を読まない人にはわからない感覚かもしれませんが。
★ 「書物復権」は絶版になり入手が困難になった名著を蘇らせる試み。
毎年行われて29回目。私もお世話になっています。
本が好きな人は、書店の閉店を嘆いています。
本を手にとって買いたいのです。
閉店する書店が増える一方で、特色ある書店が増えている面もあります。
たとえば、絵本専門店。
親は、子に絵本を買い与えるのです。
デジタル書籍では駄目なのでしょう。
おそらく、その点を意識していないと思います。
けれども、自分が幼い頃に絵本を手にとって育った記憶が「絵本を買う」行動に走らせるのでしょう。
絵本の購入数は伸びているのです。
実は、誰もがデジタル書籍では駄目だということをわかっているのかもしれません。
書物ー「書かれた物」です。
つまり、物質的に「物」なのです。
電子情報ではないということなのです。
というわけで、今日も私は本を手にとって読み続けます。