教育現場にデジタル教科書が正式な教科書としてとりいれられそうです。
私はちょっと心配しています。
まず、デジタル教科書を先んじて採用したスウェーデンで起きたこと。
それは、顕著な学力の低下でした。
一方で、このブログもそうですが、デジタルは生活に浸透しています。
だから、紙の教科書だけに固執することは適切ではなさそうなのです。
そうすると、授業中に児童・生徒に問題を解かせる場合などに活用してはどうか、
というような感じがするのです。
全員が同じ問題をその場で解いて、教師がその正答率をみる。
これはデジタル化により可能になります。
教師は自らの教え方や課題の難易度を考えることができるでしょう。
司法書士や弁護士でも六法をタブレットでみる人がいるかもしれません。
司法書士には
「全部タブレットなので紙の六法を使うことはない」
というような人がいるようです。
法律は、その条文が置かれている位置や他の章との兼ね合いも解釈の手がかり。
それがタブレットで確認できるか?
なかなか難しいのです。
だから、私は紙の六法しか使いません。
私が親しくしている数人の弁護士は全員そう。
紙の六法派はかなり多いのです。
尤も、タブレットしか使わない人は、条文の趣旨などは考えないのかもしれません。
すべてAIに頼ることもあり得るでしょう。
それで司法書士や弁護士としてどうなのか?
頭を使わないと、思考力が退化することは間違いないでしょう。
★ 三省堂の模範六法のデジタル版
日常の読書にしても同じです。
私は紙の本でしか読書をしません。
デジタル書籍をみる気はありません。
なぜか?
眼が疲れるのです。
それに、装丁や本の手触りはデジタルでは味わえません。
デジタル書籍を好む人を数人知っています。
彼らの共通点は、読書家ではないことなのでした。
デジタル化はとめられませんし、とめる必要はありません。
しかし、デジタル一辺倒になるのはいかがなものか。
紙の書籍とデジタルの組合せを模索する。
このあたりがちょうどよさそうな気がします。
なお、音楽の世界ではアナログが見直されています。
音の温かみが違うーこれはその通りだと思います。
私はそこまでは求めていないのでCDを買います。
アナログレコードを買うことまではしていません。
ただし、配信で好きな曲だけ買うようなことはしません。
アルバムはトータルで作品。
曲の配列やジャケットも含めて作り手のメッセージを感じたいので。