パラリンピックがかなり盛り上がっています。
逃げ足が速いくらいしか取り柄のない私からみれば,パラアスリートは超人です。
しかし,パラリンピックがここまで注目されるようになるまでは時間がかかりました。
オリンピックが終われば,その後のパラリンピックについてはメディアが殆ど報道しない時期があったのです。
「パラリンピック」が正式名称になったのはそう昔の話ではなく1988年です。
ですが,それ以前にも呼び名としては存在しました。
小学生だった私は障害者スポーツのドキュメンタリー映画のポスターをみた記憶があります。
そこには「パラリンピック」と書かれていました。1970年代の話です。
70年代といえば,勝新太郎さん主演の映画「座頭市」シリーズが人気を博していました。
その勝新さんが社長を務める勝プロが制作した「唖侍」はドラマ版座頭市に先行して放送されました。
主演は勝新さんのお兄さん,若山富三郎先生でした。
今ではこれらの映画・ドラマは地上波では放送されません。
理由は視力障害者への差別にあたるとか,「唖」という表現が聾唖者への差別にあたるというものです。
さて,これらの理由は正しいでしょうか?
座頭を差別用語という扱いにするのはかなりおかしいのです。
これは江戸時代くらいの障害者自立支援の一環で,盲人に特定職業を独占させるために設けられた階級です。
「唖」はどうでしょうか?これも特段差別を意図した言葉ではありません。
しかし,いつの間にか差別用語として扱われるようになり,言葉狩りの標的になっています。
誤解に基づく多くのクレームを事前に回避したいのか,テレビ局は上記2作品を放送しないのです。
しかし,上記2作品はいずれも差別に向かって怒りを露わにし戦う場面を描いています。
たとえば「座頭市」だと・・・
「このドめくらが!」
「おまえさん,今めくらといいなすったな」
市は差別に向かって必ず怒ります。
「唖侍」も同様で,障害がありながら前に向かって進もうとする主人公の熱い心が描かれているのです。
テレビ局は番組の趣旨を正確に説明すればよいのに,今はそれをしようとすらしません。
放送しなければ議論も起きないしクレームも出ない。そういう姿勢です。
障害者が正義のために戦うといえば,ややマイナーながらもう一つ時代劇作品があります。
「おしどり右京捕物車」という作品で,悪い連中の罠にはまり半身不随になった奉行所の元与力が主人公。
手押し車を押す妻の献身的な助けで下請け与力として悪と戦う話です。
主人公を「木枯し紋次郎」の中村敦夫さん,妻役を「魅せられて」のジュディ・オングさんが演じています。
この作品などパラリンピックに通ずるものがあり,今こそ再放送されてよいのではないかと思っています。