福岡県糸島市 司法書士 ブログ

男と女の間には・・・

私は56歳です。

56年も生きてきたのに,親友はいまや1人だけです。

私の鬱病発症をきっかけに私と距離を置く人が出たり(中には「あいつはもう終わった」と

嬉しそうに語った人もいたそうです),親友だと思っていた人が,鬱病の私への接し方から,

実はそうではないと判明したり,鬱病は人間関係の整理にはそれなりに役立ちました。

残った1人だけの親友は女性でした。今月10日の記事に出てきた人です。

そのことに気づいたのは,実はそれほど前ではありません。

最近といってもよいと思います。

なぜ気づかなかったか?

それは,私の中に男女間での友情は成立し難いというような認識が巣食っていたからです。

私が鬱病で社会からリタイアしたような状態になろうとなるまいと同じスタンスで接してくれ,

常に私に正面からものを言ってくれたのはこの人だけでした。

彼女は60歳になりました。最後に会ったのは彼女が45歳の時だったように記憶しています。

見舞いに来てくれたわけでもありません。長い間会ってもいません。

しかし,私の彼女への信頼は変わることがありません。

適時に適切な言葉を私に届けてくれるからです。

34年目のつきあいですが,よくよく思い起こせば,私にとっては常に姉のような存在でした。

その昔は,ある珍しい焼酎を探し出して送ってこい,という厳命を受けたりもしましたので

「姉」と書くよりは「姐」と書く方が適切かもしれません。

私が生まれて初めて信頼した女性はこの人でした。

彼女は,ちゃんと叱ってくれ,たまに本気で褒めてくれました。

母から褒められたことがなく,理不尽な叱り方をされていた私には新鮮な体験でした。

彼女のおかげで

「信頼できる女性はちゃんと存在するのだ」

そう思ったタイミングで妻と出会い,結婚することができたのですが,これは運命というほかありません。

結婚に幸福感を見出せず,結婚しないと決めた小学校6年生のときからの大転換でした。

妻ではなく,その信頼できる女性と結婚しなかったのは・・・?

そのとき彼女は人妻でした。それに彼女からみれば,私は「男」としては「タイプじゃない」だろうと思います。

彼女が私を「男」として認めていないからこその友情の成立かもしれません(笑)。

写真は映画「男と女」から。オープニングの映像の美しさは必見です。

アンヌは亡くなった夫のことを忘れることができず,ジャン=ルイと結ばれずに終わります。

映画では女性が昔の記憶に縛られ,拘るように描かれています。

しかし,不肖私の感じるところでは,女性の恋愛体験は「上書き保存」,

男性のそれは個別に「名前を付けて保存」だと思います。

違うでしょうか?

ま,女性の心の裡などワタクシ如きの理解が及ぶほど簡単なものではないのですが。

内容とは関係ありませんが,男女間の友情というあたりに強引に結び付けて写真を使いました。

 

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