私は酒を飲みません。
ですが、「飲めるクチ」と勘違いされることがあります。
勧められた場合には「信仰上の理由で飲めません」と言ってみます。
すると、酒を勧めた人は、一瞬虚をつかれた表情になります。
「しまった」という感じです。
「冗談ですよ。体質的に飲めないのです」という私の言葉にホッとした表情。
このように「信仰」に関してはアンタッチャブルの世界というイメージなのです。
踏み込んではいけない「氷の世界」と感じさせるものがあります。
この点を踏まえると、騒がれている統一教会問題の答えがみえてきます。
以前にもブログ記事で述べたのですが、政治家に身分を隠した信者が近づきます。
ボランティアとして選挙運動や政治活動を手伝いたい、と。
政治家側からはありがたい話です。
その場合に、信仰を訊ねることができるでしょうか?
訊ねた結果、「統一教会信者」であると判明したとします。
それを理由に断れるでしょうか?
つまり、今のマスコミが政治家に求めているのは、信仰を理由とした差別なのです。
一方で、信仰に関しては踏み込んではならない領域という認識が世間では一般的。
マスコミは政治家に世間標準では考えられない非常識なふるまいを求めていることになります。
仮に、政治家が信仰を理由にボランティアの協力を拒否したとすれば、さあどうなるか?
マスコミはこぞって「差別だ!」と非難の大合唱を始めるでしょう。
人の内面は実際に不可侵の領域であり、そこに踏み込むことは許されません。
日本国憲法でも保障されています。
冒頭のエピソードで酒を私に勧めた人は人権感覚が十分だな、と思います。
表現の自由を謳歌し、スキャンダル暴きに熱心なマスコミはどうでしょうか?
★ 70代になっても主役としてご活躍中の下戸の舘ひろしさんと水谷豊さん
お二人とも「刑事貴族」です。