大学を卒業するー今では極めて普通のことになりました。
私が生まれた昭和40年の大学進学率は12.7パーセントに過ぎません。
大卒は金の卵みたいな扱いだったのでしょう。
今は60パーセントに近づいている大学進学率。
「え、大学には行かないの?」
と進学しない人が少数派のような扱いを受ける時代になっています。
それだけ受け皿も増えました。
では、世の中の60パーセント近くの人が大卒にふさわしい教養を具えているか?
答えは、間違いなく“Nein”です。
私が知っている青年も
「本ですか?年に1冊読むか読まないかくらいです」
と答えました。
地方国立大学の学生でした。
それでも卒業できてしまうのが我が国の大学です。
教養が身につくはずはないのです。
大学で何を学びたいかが明確でない受験生も多いようです。
私の同級生にもいました。
「早稲田なら政経学部を、同志社なら文学部を受ける。上智なら外国語学部だな」
こういう発言をしている人がいたのです。
つまり、伝統ある学部を受験するのが当たり前だといいたいようなのです。
何のために大学に進もうとしているのか?
有名大学の伝統ある学部を卒業したという事実を作るためでしかないでしょう。
当然ながら、こういう人は勉強することはありません。
でも、上記したように卒業できるのです。
地元の旧帝大ーと書けば九州大学ということになりますが、
「卒業までまったく勉強しなかった」
と胸を張る高校の同級生もいました。
大卒なる「肩書」は「はりぼて」と読むべきなのか?
少なくとも、進学にはおカネがかかります。
そのおカネを思い切り無駄にする4年間を過ごす。
なんとももったいない話です。
こういう無駄をなくすことも必要なのかな、と思う今日この頃です。