先日、オンラインゲームの中毒性について記事を書きました。
そして、オンラインカジノもほぼ同じである旨を述べています。
NHKスペシャルでもオンラインカジノがとりあげられました(4月20日放送)。
その番組によると、行動心理学を基礎に人を操るプログラムができ上っているとのこと。
オンラインゲームも課金されるものは、オンラインカジノ同様だと改めて感じました。
最初から開発者側は利用者を食い物にする目的を有しているのです。
我が国では、これらの利用が制限できる仕組みがありません。
海外に拠点があるためという理由もあるでしょう。
場の提供者を叩く手法がないのはもどかしいところです。
一方で、その「場」を国が提供しているのが我が国なのです。
我が国は博奕大国であり、国が胴元になって博奕をやっています。
競馬は農林水産省が、競艇は国土交通省が管轄しています。
経済産業省に至っては競輪とオートレースの2つの賭場を開帳。
さらに教育行政を司る文部科学省はスポーツ振興くじを管轄。
たとえば、日本中央競馬会(JRA)は国が全額出資する特殊法人です。
つまり、本家の下にある二次団体みたいなものなのです。
こうして国が賭場を作って国民からカネを巻き上げるのが我が国です。
税金以外にたくさん国におカネを納めている人がいることになります。
私はレースそのものは面白いかもしれないと思います。
が、おカネを賭ける気にはなれません。
自分がプレーヤーとして戦うわけではないため、緊張感を楽しめないからです。
その点、パチンコにはプレーヤーとしてのスリルを感じられるのかもしれません。
民間企業がやっているので「私設賭場」というように捉えています。
多くのお客さんがパチンコを楽しんでいます。
勝てる!という期待感があるのでしょう。
あるいは、勝った快感を忘れられないのか。
でも、お店がボランティアで客におカネを配るわけがありません。
必ずお店が勝つのです。利益が出るから出店する。
つまり、多くの客は負けてお店におカネを払うだけです。
大音響の音楽にパチンコ玉の音が響く店内。
思考能力を奪われやすい空間だと思います。
あれも機械相手に必死になるだけで、結果は機械に笑われておしまいという印象。
パチンコは一時期社会問題化しました。
今もパチンコ店は普通に営業しています。
警察官の退職後の再就職先としても有力な存在であり続けています。
なくならないことにもなんとなく納得できてしまうのでした。
あの換金システムは明らかな法の潜脱でしょう。
脱法型の博奕を許容してよいものか?
ところで、関西に何か所が存在する「〇〇新地」という男性が性欲を満足させる場所があります。
俗に「ちょんの間」と呼ばれるのですが、料亭ということになっています。
料亭に上ったら仲居さんと自由恋愛をしてしまいました、決して売春ではありません。
こういう仕組みの料理を出さない料亭があるのです。
私はその存在については許容範囲であると捉えています。
その理由は中毒性がないからです。
働いている女性も「搾取されているかわいそうな人たち」ではない場合がほとんどです。
そのあたりは、ルポルタージュを何冊か読めば掴めます。
「よいこと」ではありませんが、「このくらいはしかたがないかな」で許せるのです。
博奕中毒になれば、本人のみならず家族も被害者になります。
「〇〇新地」の存在は被害者を生まない点も私がその存在を許容する理由のひとつです。
しかし、尼崎市にあったその種の色街は警察署が壊滅に追い込みました。
パチンコ店は健在で、競馬・競輪・競艇・オートレースを国が運営し続けているのに。
なんともちぐはぐではありませんか。