友との別れにはいろいろあります。
この年齢になると亡くなるケースも経験します。
昨年6月には4歳上の女性が亡くなりました。
この人は「友」だったのかどうかは実際はわかりません。
そこまで交流があったわけではないのです。
しかし、1年を同じ職場で過ごし、私は随分と支えられました。
ほかにも相手から去っていくケース、そしてこちらが訣別を決めるケースも。
友人だと信じていても裏切られることもあります。
それが如実にあらわれたのが私の闘病期間でした。
永年の友人(と思っていた人)の冷淡さと軽薄さにがっかりしたこともありました。
一方で、本当の友が誰であるかに気づくこともできました。
そういう意味では闘病期間に人間関係の整理ができたようにも思います。
大学を卒業してからパッタリと音信が途絶えた人もいます。
学生時代にはかなり親しかったはずですが、あっさりしたものだな、と驚きました。
その人が今になって私に会いたがっているという話を耳にしました。
私は会う気はありません。
思えば、卒業後は私も彼に積極的に会おうとしたことはありません。
一度連絡をとりましたが、そっけない彼に失望し、その後は私からも連絡しませんでした。
つまり、お互いがお互いを必要としない間柄だったのです。
今頃になってどうしたのでしょう?
卒業=ロンググッドバイで十分でしょう。
以前にも高校時代の知人(私は友人だとは思っていなかった)と偶然会った際に
「今度、〇〇と▲▲も誘って集まろう。〇〇はXX社で・・・」
と知人たちの企業等における立場を語り始め、
「こうして俺たちは社会的に成功したわけだし、そういった仲間で・・・」
と続けたので、私はそれを遮り、
「成功したとかしていないというのはよくわからない。そういう感覚は自分にはないので」
と誘いを断ったことがあります。
友情をその時点の社会的立場で計るような気持ちにはなれません。
それに私は彼らをもともと友人だとは思ってもいなかったのです。
それは彼らも同じではないかと思います。
単に社会的立場を基準にグルーピングしようとしているだけだったような気がします。
このやりとりなど、最初からすれ違っていて別れを迎える以前に出会えていないイメージです。
思い出してみると、私が心の裡を語った相手が高校生や大学生の時分にはいませんでした。
私は心から信頼を寄せる友を得ることができていなかったのでしょう。
これは私の責任でもあります。
今は、親友と呼べる人がいるので、少しは自分も成長できたのかな、と思っています。
★ 右はロバート・アルトマン監督の「ロング・グッドバイ」でフィリップ・マーロウを演じるエリオット・グールド
左はNHKドラマ「ロング・グッドバイ」でマーロウに該当する増沢磐二役の浅野忠信さん、
そしてテリー・レノックスに相当する原田保役の綾野剛さん(好演!)
原作はレイモンド・チャンドラーの不朽の名作「長いお別れ」(“The Long Goodbye”)です。