世間的には「よい大学」とされる有名大学を卒業。
憧れの職業または高収入で知られる職業に。
それを捨てて肉体労働的な面が多い世界へ。
八面六臂の大活躍で売上倍増やブランド化に成功。
時折この種の記事を目にします。
ライターや編集者としては一種のヒーロー物語を作っているのです。
その方が読者にウケるから。
本人の意識は実際のところはどうなのでしょう?
単に敷かれたレールをはずれ、本当に好きな世界に転じただけなのに・・・
本人は戸惑いや気恥ずかしさを感じているかもしれません。
「こんな話はしてないよ」と雑誌側に抗議している可能性も考えられます。
ところが、この種の情報を本人が発信している例もあるのです。
自分は、有名大学を卒業し、難関を突破して誰もが羨む会社に入りました。
しかし、●●の世界が好きで、あえて恵まれた立場を捨てて転職しました。
自分は下働きから始め、結果的に大きな利益を生み出すまでになりました。
ついに独立を果たし、自分の店を経営しています。
腕を組んで微笑む写真つき。
こういう図を実際に見たことがあります。
さて、こういうご本人のお話をどう受けとめるべきか?
本当に●●が好きなのかもしれません。
たぶん、そうなのでしょう。
だったら、それだけでいいのではないか。
高い地位にいたのに、あえてそれを捨てた俺。カッコいい!
下働きからスタートする俺。カッコいい!
見事にその世界でも利益を生み出し拍手を浴びる俺。カッコいい!
そして、前職の経験を活かし、自分が経営者に。さぁすがぁ!
自分で情報を発信すると、こういうことを言いたいのだと思われてしまうでしょう。
そして、そこには、好きな●●に対する無意識の差別が潜んでいるように感じるのです。
あるいは、もともとの自分自身が非常に優れていることを強調したいという思いを感じます。
●●は好きだけど、本当は自分みたいなエリートが進む世界ではない。
こういう優越感が見え隠れしているのです。
「優秀な俺」はあっという間に成功者です。
ね、俺は優秀過ぎるくらい優秀でしょう?やっぱりカッコいい!
こういう読み手が恥ずかしくなるような情報が出るのはSNSあってのこと。
たとえば、X(旧ツイッター)は俗に「バカ発見器」と呼ばれています。
この種の記事あるいは情報を読み手(情報の受け手)は意外に冷静にみているのかもしれません。
私と同じように、ちょっと困ったような表情で微妙な笑顔になっている人も少なくないのでしょう。
カッコいいかどうかは周囲の人が決めてくれます。
わざわざ自己宣伝に努めなくてもいいのです。
自分が好きな●●にどっぷりと浸っている日常の幸福感だけをSNSで発信してはどうでしょう?
そのうちに誰かが、
「あの人、実はね・・・」
と、本人が心の中で望むようなヒーロー物語を語ってくれるはずです。
そうすれば、周囲がカッコいいと持ち上げてくれる人になることができるでしょう。
自身で宣伝しているうちは、イタい人扱いです。
ところで、それに気づくことができない人は、はたして本当に優秀なのでしょうか?
★ なんとこういう本まで出版されているのでした。