司法書士試験合格から3年が過ぎました。
最近強く感じるのは、以前から書いている基礎的学習の重要性。
OJTという形は企業でも多く使われます。
仕事をしながら仕事そのものを覚えて行くのは当然です。
しかし、そのOJTの過程においても基礎理論を学び続ける必要があるのです。
自分の仕事の位置づけや意味あるいは意義をわかっているのかどうか?
特に我々の仕事では法律に基づき、条文に従って仕事をします。
でも、その仕事の根拠となる条文を見たことがない司法書士がいたら?
こういう驚くような話は、実は仮定ではないのです。
書類作成は、それこそ体で覚えることができます。
日々似たような書類を作るのですから。
でも、それでは自分が法律のどの部分の仕事をしているかはわからないでしょう。
ちなみに、私は、このプロセスを「勉強」とは呼びません。「作業」です。
ルーティンの作業を繰り返していると要領がよくなるという次元の話です。
さて、そのまま時を過ごしてしまうと、この人はどうなるのだろう?
と、感じたことがないわけではありません。
OJTという言葉に逃げて、机についてしっかり読書をすることを怠るべきではありません。
現場の仕事は生き物です。生き物に触れる方が楽しいのは当たり前です。
でも、その生き物の生態を深く理解しておかないと、生き物を適切に扱えなくなります。
基礎理論をしっかり学ぶ厳しさから逃げてはいけないのです。
そもそも司法書士試験の合格までに基礎理論を深く学ぶ機会は少ないはず。
そこまでやらなくても合格できる試験なのです。
知っているかどうかを問うだけの試験を「難しい」と感じる人には基礎理論は難しいかもしれません。
ですが、いったん実務を始めたら依頼者への責任が生じます。
そうである以上は、深く深く学ぶ時間を大事にしなければ、依頼者に対して申し訳ない。
表面的な説明ではなく、制度の趣旨や意味をしっかりお伝えするべきなので。
口八丁手八丁で表面的な説明をすれば、その場では理解されるはずです。
しかし、依頼者の記憶には残りにくいのです。
「なるほど」と思っていただける説明、これは口八丁手八丁では無理です。
ある弁護士も「まったく同感」といっていました。
その弁護士も時間があれば体系書や時には学生用の教科書を読んでいるそうです。
「高橋さん、繰り返し読むって、学生時代はなんだか面倒だと思ったけど、やはりこれに尽きますね」
「まったく同感」と私が答えたのはいうまでもありません。
★ 「白い巨塔」
ごく初期の膵臓癌を確信し、財前に試験切開を依頼した里見。
里見の予想どおり癌が発生しており、そのまま膵尾部の切除術へ。
術後に財前は「君は基礎に長くいて、しっかりした勉強ができているから」
と里見の見識の高さを讃えます。