選択的夫婦別姓制度を導入していない我が国に対し、
「遅れた国」
という非難を浴びせる日本人の方々がいらっしゃいます。
この点に関して的外れであることは、当ブログで再三指摘してきました。
どうしても自国を非難したいのであれば
「死刑を存置する日本は遅れた国」
と非難してはどうでしょうか?
G7の中で死刑を存置しているのは米国と我が国だけ。
米国の中で死刑が残っているのは27州です。
なお、世界で最も多く死刑を執行しているのは中国です。
ちなみに、ロシアは事実上廃止しています。
「戦争だぁい好き!」でも死刑をやめることができたのです。
死刑制度があることにより犯罪抑止効果があるーこの話をよく聞きます。
しかし、死刑を残す州と廃止した州の間で比較しても
「有意な差は認められなかった」
という米国のデータについては意外に知られていません。
中国ではバリバリ執行しています。けれども犯罪件数は減りません。
刑罰に威嚇効果があるかどうかはかなり微妙なのです。
たしかに、「やってしまうと刑務所に行く羽目になる」と思う人はいるでしょう。
それで思いとどまるケースも当然あると思います。
その一方で、「死刑になっても構わん。やるんじゃ!」という人たちもいます。
最近は「死刑になりたいから」という理由で無差別殺人に走る例が出ています。
死刑の存在が犯罪の動機になってしまうという笑えない現実もあるのです。
これは少数の例であるにせよ、実際に死刑制度が犯罪を抑止していることは実証されていません。
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる。」
これは憲法第36条の条文です。
人の生命を国家権力が奪うことは十分に残虐な刑罰といえるのではないか。
そして、死刑判決をくだす裁判所の判断は常に無謬なのか?
最近も確定した死刑判決が誤りだったことが明らかになっています(袴田事件)。
★ 死刑判決確定から再審で無罪判決を勝ち取った袴田巌氏
誤判は常に起きる可能性があるのです。
警察官に証言を強要されたという話が出ている飯塚事件。
この事件では死刑がすでに執行されてしまいました。
裁判は人の所為。ゆえに誤りが起き得る。
ふつうはこう考えるのです。
死刑についてだけは、なぜか判断が100%正しいという前提が存在するのです。
最近の調査でも死刑存置を支持する人の割合が84パーセントくらいです。
「リベラル」と自称する「進んだ人たち」の多くも支持しているようです。
「命をもって償う」
これは我が国には根強い道徳観あるいは倫理観でしょう。
切腹して詫びるーいまもこういう感覚が残っているのです。
多くの人が、諸外国と自国の感覚の差異を肯定しているようです。
支持する人たちは、他方で「選択的夫婦別姓」を支持しているのか?
「諸外国に遅れている」という理由で。
かたや命の問題で、自国の道徳観や倫理観を重視し、一方では家族観を非難する。
誤った死刑執行があったとき、死刑存置論者たちは責任をとれるでしょうか?
命をもって償うくらいの問題ですが。