司法書士には弁護士に対するコンプレックスがある旨を記事にしました。
実際に、司法試験合格を諦めて司法書士試験に転身して合格した人も少なくありません。
私はどうか?実は、私は司法試験を3回受験しています。
2回は学生時代です。
教養課程の単位を取得すれば一次試験(大卒程度の教養試験)は免除でした。
それで、3回生と4回生の時に受験したのです。
3回目は1998年で、これは管理職をやるのが嫌いで、転職を考えたから。
当時はいわゆる旧司法試験です。5月の第二日曜日に択一式試験が行われていました。
科目は憲法・民法・刑法の基本三法。
最初に受験した1985年は各25問で75問が出題され、試験時間は3時間。
2回目の受験である1986年は各20問で60問。
3回目となった1998年からは試験時間が3時間30分になりました。
たまたまですが、3パターンの択一式試験を受験し、いずれも不合格に終わっています。
落ちるのが当たり前で、2回目までは民法をほとんど勉強していません。
3回目は企業の管理職をこなしながらで勉強時間の確保が十分ではありませんでした。
当時の出題は、民法は知識問題が中心でした。
憲法は国語の問題といわれていました。
判旨の並べ替えや接続詞の使い方を問うようなものがありました。
刑法は「パズル」と呼ばれるような問題がちらほら混じっていました。
その当時も憲法と刑法は善戦しています。
でも、民法ができない以上は合格の目はありません。
それ以上に動機が十分ではありませんでした。
学生時代は研究の道を諦めた代償。
3回目は仕事がいやだからというレベル。
ただ、勉強して頭を使ったことは無意味ではありませんでした。
今もその蓄積が生きる場面が多々あります。
相撲でいう「稽古の貯金」みたいな感じでしょうか。
ですが、大横綱白鳳関にしても「稽古の貯金が底をついた」と言われました。
私は大横綱のようには参りません。
チビチビと貯金をし続けなければ、頭が働かなくなるように思います。
では、司法試験の受験勉強をするのかといえば、そうではありません。
また、「稽古」を意識するわけでもありません。
自分の興味がある法律や特定の分野について本をしっかり読むことを繰り返す程度です。
良い本は再読に耐えます。
耐えるというよりは、再読、再々読によって理解が進んだり、ようやく誤解に気づいたりします。
そうやって本を読みこなし、「自分の本」にしていくのは、なかなかに楽しい時間でもあります。
意識して「稽古」を頑張るわけではないのです。単に遊んでいるような感じです。