6月に「弱者救済」という記事を書きました。
「弱い者の味方」を標榜する人たちには胡散臭さがつきまとう。
私はそう感じることがしばしばあります。
上記の記事で述べたことですが、「弱者」という存在を措定する場合の自分の立ち位置が問題です。
明らかに自らを「強者」と考えることになるのです。
今風の表現では「上から目線」です(ちなみに私はこの表現が嫌いです)。
「強い立場」の私が、「弱い者」のあなたを救う。
実にエラそうな感覚ではありませんか。
そして、「弱い者の味方」は概ね「敵と戦う姿勢」を強調します。
その「敵」とは、「弱い者」を放置している(ことにされる)行政であったり、企業です。
自らの正義を際立たせるため、極悪非道の「敵」の存在は不可欠です。
もう少しソフトな「強い立場」の人は、「親が子に接するような姿勢」を強調します。
親子という形も一種の上下関係の措定であり、エラそうな姿勢です。
この「強い立場」に立ちたがる人の特徴として、「話がデカい」ことが挙げられます。
いかに「弱い者」が虐げられているかの極端な強調。
それにより、その人たちを救う自分自身が「慈愛の心」に満ちた存在であると伝えるわけです。
話を聞いていると、そういうことか、と感じます。
つまり、胡散臭さは、こういうアピールがきついことに起因するのです。
極悪な敵と戦う正義の味方として慈愛の心で前に進む。
大いに結構ですが、黙ってそれをやったらどうでしょう?
もっとカッコいいのに。
★ 菅直人・鳩山由紀夫・細川護熙・村山富市・小泉純一郎の各元首相
「福島第一原発の事故のせいで多くの子供たちが甲状腺癌に苦しんでいる」旨を
EUに対する書簡で述べ、弱者の味方を気どった人たちです。
科学的根拠を伴わず、寧ろ、風評被害を生みかねない所業です。
こうして並べると胡散臭い顔ぶれであることを改めて感じます。