福岡県糸島市 司法書士 ブログ

学びのプライド

進学先の選択

私の出身大学は同志社大学です。

同志社大学に進みたいと思ったのは, ある映画がきっかけです。

ミーハーなようですが, 映画が進学の動機になりました。

その映画とは「衝動殺人 息子よ」という木下恵介監督の1979年公開作品です。

主演俳優は, 私が特に好きな俳優さんである若山富三郎先生です(ご本人が,

自分のことを「先生」と呼んでいたそうなので, それに合わせて先生と記します)。

若山先生が出演した映画に同志社大学が登場したーだから進みたい!

という単純な動機ではありません。

映画の中に「中谷勝」という教授が登場します。

「犯罪被害者等の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律」(犯罪被害者

支援法)の制定に尽力した若手教授(当時)です。

刑事政策・刑法の気鋭の研究者が同志社大学にいる!

私はそれを知り, 自分が犯罪学や刑事政策あるいは刑法を学びたいと考えていたこともあり,

進学先として同志社を強く意識しました。

若山先生のおかげです。

若山先生が出演していなければ,映画を見逃したかもしれないので。

難 関

しかし, この進学には「難関」というべき障害がありました。

それは私の母親です。

いずれブログで述べることになりますが, 私にとってはその存在に悩まされ続けたのが母親で,

当時も地元の九州大学への進学を私に対して強く望んでいました。

在籍する高校も異常なくらいの「九大推し」です。

九州大学に何人が合格するか, ということに先生方が強いこだわりを持っていました。

こうして私は流されるように九州大学受験に追い込まれていきます。

そうなると,いよいよ同志社恋しさが募ります。

なんとか同志社大学の中谷教授の下で学びたい。

こういう思いが一層強くなったのです。

希望通りの進学

結果として私は九州大学には不合格,同志社大学には合格ということで,

無事に希望通りの進学を果たします。母親に抗えない子供時代を送り,常に母親の意に

沿うようにふるまってきた私としては,「ざまあみろ!」という結末になりました。

世間体を気にする母親が, 浪人してでも九州大学に進めとは言わないことも見切っていました。

大学に入って,初めて中谷教授こと大谷實教授にお会いしたときは, 感激するはずが,

映画で中谷教授を演じた加藤剛さんとは似ても似つかない雰囲気だなぁ,と笑ってしまいました。

その後, 私は大谷教授の講義で刑法を学び, 犯罪学よりも刑法の基礎理論に関心が移りました。

私は, 同志社で大谷教授に学んだことにプライドを持っています。

本気で学んだ充実感があるからです。

本物を読む学び

最近は司法試験でも「なんとか対策講座」を使い,基本書を読まない人が多いそうです。

司法書士試験では予備校本が幅を利かせ,学者が書いた本を読む人は少数派だと聞きます。

ですが,合格後には本物の法律書,学者が書いたしっかりした体系書を読むべきだと思っています。

法律を単なる知識の塊として捉えるのではなく,それが成立する歴史や文化的背景まで知ることで,

法律そのものの理解が深まると同時に愛着も湧くというのが私の実感です。

予備校本は所詮はあんちょこ本で, 間違えもあるし, 有名な教科書のパクリでしかない記述もみられます。

そういう有名教科書の切り貼りも多い印象です。

私は試験勉強開始時こそ予備校本で出題範囲を掴むようにしましたが,その後は徐々に使わなくなり,

合格後に全部捨てました。 もう使い道がないからです。

学んだ自信

本気で学べば,その分野について知っているという自信だけでなく,学んだことそれじたいが自信になります。

個人的には法哲学の講義を受け,その内容に触発されて社会人になってから読んだ本や,

学生時代に一般教養科目として政治学を学んだ際に指定された教科書を読んだ体験は,

その後になっても考え方の基礎を作ってくれていることを感じます。

同志社の4年間はそういう意味でも楽しく充実したものでした。

小中高校時代には何の郷愁も感じませんし, 同窓会に出る気にもなれませんが,

大学時代には深い思い入れがあります。だから記念にアメリカっぽくリングを作りました。

 

女性の同級生が「私も欲しいわ」と言っていました。

「もし私が(リングを)作ったら交換してもいいわね」とも。

結局, 彼女は作らないままでしたので交換することはありませんでした。

彼女の言葉が何を意味していたのかは今もって謎ですが,私は交換する気はありませんでした。

自分にとっての学びの記念ですから。

今でも時々このリングを嵌めています。

ブログ一覧へ戻る

お電話

メール

ページの先頭へ
Loading...