福岡県糸島市 司法書士 ブログ

「自由」を映画から考える

好きな映画は・・・

前回の記事で木下恵介監督の映画を紹介しました。

私が木下監督のファンかといえば,そうではありません。

私がフランス映画を好むと知った人が「やはりゴダールあたりですか?」

と尋ねた際に「いえいえ」と答えると「じゃあトリュフォー?」と重ねて尋ねるので

「メルヴィルです」と答えると,「ふ~ん」という反応です。

日本映画に関しては「やはり黒沢とか小津ですか?」と訊かれたので

「深作欣二,五社英雄に石井隆」と答えると,軽蔑の表情を浮かべられてしまいました。

ダメ押しに「中島貞夫に山下耕作」と言っておきました。

私が好きなのはフレンチノワールと日本のヤクザ映画です。

ヤクザ映画が面白いわけ

私が好きなヤクザ映画は,鶴田浩二・高倉健の着流し任侠ものではありません。

いわゆる「実録路線」と呼ばれるもので「仁義なき戦い」などです。

残酷なシーンもありますが,ヤクザを通して人間の性(さが)・本質を暴く面が面白いのです。

着流し任侠は,あり得ない善のヤクザ組織VS悪のヤクザ組織の設定が定番です。これしかありません。

善玉側が悪玉側の嫌がらせに耐え, 最後は堪忍袋の緒が切れて,悪の組織に殴りこむというパターンです。

映画として面白くはあるし,勧善懲悪ゆえに惹かれるものはありますが,絵空事感が抜けません。

その点,実録ものは,登場人物がとことん欲望剥き出しです。

己のためなら簡単に友を裏切り死に追いやる。徹底的に人間の身勝手さといやらしさを抉り出します。

人間が生き物であり,暴力とは縁を切ることができないことも思い知らされます。

そして,どこまでも自由であり,どこか哀しさが漂うのです。

だからヤクザ映画は面白いのです。

過剰な自主規制の果てに

しかし,世間はコンプライアンス花盛り。

映画会社とて非難を浴びないようにおとなしい作品を作ることに徹します。

エログロなんでもありだった東映作品も随分おとなしくなりました。

そういう自主的な規制で表現の範囲を自らの手で狭めていく。

映画にしろ歌謡曲にしろ自主規制が極端になったのはなぜでしょう?

今はドラマもつまらないものばかりです。

恋愛にセックスはつきものですが,その表現を避ける。

リアルに迫るものはありません。 切なさも皆無です。

自分自身の体験に重なるものがなく,何の共感も覚えなくなりました。

今の時代に「101回目のプロポーズ」を作ったら「ストーカードラマ」として

問題になるかもしれません。

しつこく女性につきまとう気持ちを男性に起こさせる有害作品として。

自由は困る?

映画会社,テレビ局,そして音楽業界は,ほんらい自由な表現を追求するものだと思うのですが,

どうやら自主規制により, 自分で自分の首に縄をかけて喜んでいるようにみえます。

結局は自由より不自由である方がラクということなのでしょう。

当たり障りのない,とりあえず問題視されず,それなりの支持を受けそうな無難な作品を作る。

これに満足しているのに,ときに芸術家を気取る。滑稽です。

 

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