福岡県糸島市 司法書士 ブログ

哀しきノイジーマイノリティ

非難がトレンド!

NHK朝ドラ「ちむどんどん」が最終回を迎えました。

この作品は「史上最悪」のように非難されています。

上記の非難が正鵠を射ていないことは以前の記事でも指摘しました。

ここでは非難する人たちのドラマリテラシー等をとりあげてみたいと思います。

本作では主人公暢子(黒島結菜さん)の言動がかなり非難されています。

KY(空気が読めない)だいうのがそのひとつ。

これは非難すべきことなのか?

KYで天然な主人公が描かれているのですから。

妹歌子(上白石萌歌さん)に智(前田公輝さん)の愛のシーンを二度までも潰しています。

これを「けしからん」という非難が渦巻いていました。

しかし、ドラマですよ。しかもKYで天然な女性を主人公にした。

寧ろ、こういうシーンがあってこその暢子のキャラクターです。

普通なら笑って楽しむ場面です。

ところが本作に限っては非難の的になりました。

思うに、ネット上の「ちむどんどん反省会」が元凶です。

ツイッターで非難することこそ正しい行動であるような風潮が広まったせいです。

そういう風潮の先頭に立つ自分は世論を引っ張っている!

こういう感覚の人が多いのかもしれません。

かなり哀しい現象です。

周囲からは意見を一顧だにされないような日々を送ってストレスマックスなのでは?

ドラマを、主人公を叩きまくって正義の側に立つ快感に酔う。

哀しすぎます。

マスメディアもそれを煽っており、マスメディアに踊らされた面も大きいでしょう。

非難して喜んでいる人たちは、自分が世論を作っていると思い込んでいるようですが。

 黒島結菜さん

  演技を酷評する声がありましたが、私は絶賛したいと思っています。

  暢子というキャラクターを完璧に演じ切りました。

テーマを見抜けない視聴者

さて、本作で主人公暢子は突然「東京でコックになる!」と宣言します。

高校の料理コンクールで勝利した際のことでした。

次に、東京のイタリア料理店で重要なポジションにつきながら、突然宣言します。

「沖縄料理の店を開く!」

沖縄料理店は開店当初こそ苦戦します。

しかし、素材の持つ味を引き出すような調理法に変えてからは大繁盛。

ここで暢子は三度めの宣言をします。

「郷里のやんばるで野菜を作る!」

こういった唐突にみえる宣言が非難の的になっていました。

しかし、ドラマを普通にみていれば、暢子が進む方向を感じ取ることが可能だったはず。

そして、そこからこの作品が何を描こうとしたのかもみえたはずでした。

非難するためにみている人には無理だったでしょう。

というよりも、非難していた人たちには、ドラマの主張を見抜く能力が足りなかったようです。

暢子は常に「自分自身の幸福とは?」というテーマと向き合っていました。

周囲の言葉にヒントをもらったり、あるいは自分のとった行動の中に答えを見つけたり。

暢子が沖縄に帰ったのは、我が国で拝金主義が強まりつつある時期です。

おカネを重視するのではなく自然の中でゆったり暮らすことこそ幸福である。

これに暢子は気づいており、夫である和彦(宮沢氷魚さん)も沖縄への移住を望みます。

かなり進んだ二人なのです。

思いつきで行動しているようで、実は暢子は日常の中から自分の進む方向をみつけています。

そこに気づけない視聴者にとって、本作はレベルが高すぎたのかもしれません。

ドラマレベルの低下

翻ってみるに、最近のドラマは著しくレベルが落ちています。

非常にセリフが多く、視聴者が言葉の意味を考えなくてもいいように作られています。

セリフが多いために、ちょっとしたしぐさや表情で伝えるような演技が少なくなりました。

つまりは学芸会レベルの演技でも作品が成立してしまうのです。

サービスのためなのか、主人公やその周辺の登場人物が急にダンスを披露したりする場合も。

これはストーリー展開の上で必須のシーンではなく、確実に話の流れを阻害しています。

が、視聴者に喜ばれてしまうようです。「神回だ!」みたいに。

あるいは不必要なテロップの挿入やCG合成によるあり得ない身体の動きなどもしばしば。

大河ドラマまでこれをやるから始末に負えません(例:「麒麟がくる」の今川義元を討ち取るシーン)。

これは人が演技をすることを軽視したもので、一種のマンガです。

マンガならいっそアニメでやればいいのですが、そうせずに役者さん(それも名のある)を使う。

役者さんへの敬意を欠いた演出というべきでしょう。

でも、なぜか視聴者には好評らしいのです。「鳥肌立った~!」みたいに。

一時期流行した「顔芸」もそう。

歌舞伎にしては中途半端でヘタ。

いかにも作り物でござい、という表情ならプロの役者さんがしなくてもいいのでは?

即物的な笑いを追求するような作品がもてはやされるようでは映像文化も衰退の一途でしょう。

これもまた視聴者にウケるそうです。

ということは、視聴者のレベル低下が著しいがゆえにドラマの作り手もそれに合わせている。

このように結論せざるを得ません。

「ちむどんどん」はそういうレベルの人たちが楽しく非難しているのではないか?

そう感じました。

 「麒麟がくる」のあり得ないシーン

  リアリティがまったくないため、私の視聴中止の原因になりました。

非難者は多数派?

というように、「ちむどんどん」を非難する人たちは、ドラマリテラシーに乏しい人たち。

こう考えるしかないのです。

しかもストレスフルで、誰かをあるいは何かを非難していないと精神の均衡を保てない。

では、そういう人たちが多数派(マジョリティ)でしょうか?

ここで参考になるのは安倍元首相の国葬です。

献花の列は長く続き、半蔵門駅が最寄りの駅なのに四谷駅から並んでいたという話です。

これはかなりの距離であり、多くの人が献花に訪れたことがわかります。

こういう人たちは「国葬賛成!」などと反対派に対抗したデモを行いません。

マスメディアがとりあげるのは、専ら大騒ぎする反対派でした。

その人たちは「アベ」と安倍元首相を表現します。

死者への敬虔感情を重んじる我が国の中ではかなり特異な表現方法でしょう。

ハッキリ書けば失礼過ぎるレベルですが、メディアはこれをたしなめません。寧ろ、煽ります。

騒ぐから目立つ。ゆえに反対が非常に多い印象が作られる。

マスメディアの煽りもかなり効いたように思われます。

ノイジ―マイノリティがサイレントマジョリティよりも目立ったということのようです。

「ちむどんどん反省会」はマスメディアの報道で有名になりました。

参加者が大騒ぎ。

どうですか?まったく一緒ではありませんか。

実は、非難者は少数派なのでしょう。

だってそう考えるしかないのです。

ツイッターでいちいち粗さがし自慢をするようなヒマ人はそうそういません。

朝ドラに目くじらを立てて怒りたいような人たちが多数いるとします。

世の中はすごくギスギスして、人と人とが日々いがみ合うような社会になるでしょう。

でも、実際はそうはなっていません。

だから彼らはノイジーマジョリティ。

罪深いマスメディアに乗せられ、煽られた人たちでしょう。

「ちむどんどん反省会」で盛り上がった面々は、そろそろ冷静に自身をみつめ反省すべきでしょうね。

                    ★ 元気なヒマ人の皆さま

                      ちゃんと税金を払っているのでしょうか?

 

 

 

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