窮屈な時代
最近はなにかといえば性的表現を切り取って「セクハラだ!」と騒ぐ人が増えました。
人間の生活において「性」は避けることができないテーマです。
そして,クスッと笑えるような小話のネタにもなるし,品が悪いながらも大笑いできる冗談の源でもあります。
しかし,性に触れる発言をしたとたんに「セクハラ」と騒ぐ人がいるため,
こういう笑いが許されない風潮が生まれています。
まったくもって窮屈になりました。艶笑落語までもが「セクハラ」になりそうな雰囲気です。
私が〇学生の頃は先生も生徒の振りにしっかり応えて笑いを演出してくれていたのに。
おおらかな古き良き時代
ある美術の先生が「おい,次の時間は屋外で写生な」と私たち生徒に言いました。
私はすかさず「先生,本当にしゃせいしていいんですか?」と返します。
先生は一瞬考えました。
「あん?おう!ええよ,しゃせいちいいよろうが。おまえ,本当にやれよ!」
「やりますよ,本当にやっていいんですね。先生もしゃせいしますか?」
「あん?俺か?俺はな・・・最近調子が悪いんや」
一部の男子生徒は意味がわかって大爆笑,大半にはわかってもらえませんでした。
他にもひどい会話がありました。もっと露骨です。
「ほら,ちゃんと清掃せい!」
「先生,清掃の後に生殖していいですか?」
「なに?おう,ええよ,おまえ,本当にやれよ!で,おまえは誰とがいいんや?」
「そうですね,〇〇(女子生徒の名前)がいいですね」
「はぁ?おまえ,あんなのが好きなんか?」
「先生はどうなんですか?」
「俺か?俺やったら●●(別の女子生徒の名前)やな」
周りで聞いている女子生徒もケラケラ笑っていて,誰も「セクハラだ!」などといいませんでした。
女子生徒も男子生徒に対し露骨な言葉(書くのが憚られるくらいの)を使ってからかっていたくらいですから。
今こういう会話をしたら,私は心にもない反省文を書かされ,先生は教育委員会から処分を受けるでしょう。
こういうやりとりにいちいち「不快感がある」という人たちは,随分とお上品で清廉な世界に生きているのでしょう。
男女間の愛憎肉欲などとは無縁なのかもしれません。美しいですね。でも,それって人間が生きる世界でしょうか?
司法書士の扱う事件は生々しい
司法書士をやっているとトラブルの相談が当然のようにあり,その事件の裏や底には
男女間のドロドロがあるケースも普通にあります。適切な解決案を考えるうえで,
いわゆる「事件の筋読み」ができなければどうにもなりません。
私が司法書士として登録する前に,数人の関係者との会話において,あるケースの「筋読み」を披露したところ,
あとで「あれはセクハラだ」と非難していた人がいたそうです。
その人は私に直接「問題がある」とはいっていません。だから私も「いたそうです」と伝聞で書くほかありません。
まさか,あの話をセクハラ扱い?・・・と思うので,実は「非難していた」という話はウソではないかとさえ思っています。
私は多くの交通事故の賠償問題等に関与し,筋読みをする経験を積んでいたので,
筋読みの手法をちょっと披露してみただけです。
そういう職業的な会話まで「セクハラ」に結びつけようとする人が本当にいたとすれば,その努力には驚きます。
我々が扱う事件は「人間の事件」であり,人間である以上は生々しさとは縁を切ることができません。
司法書士や弁護士は生々しい話に耐性のない人には向かない職業です。
切り取り
私が感じるのは,「セクハラ」と騒ぐ人の特徴は,話全体の文脈ではなく,
単語に反応していることがほとんどであるということです。
まともな読解力や会話能力があれば,その話が性的な嫌がらせを意図したものかどうかは容易に理解できます。
しかし,騒ぐ人たちにはそういう能力がないのか,あるにしても,とりあえず相手の言葉尻をとらえて
論うことに快感を覚えるのか,話全体の趣旨を捨象し,言葉を切り取って非難します。
余裕のない姿勢だと思いますし,他人を論うことを悦ぶ己の醜い姿もみえなくなるに違いありません。
社会全体にそういう風潮が蔓延している今,まさに「蔓延防止措置」が求められるところです。
「もっとおおらかに考えましょう」と声を大にしていう。措置としてはこれだけで十分でしょう。
おしまいに,うまく撮影できた美しいバラを。
最も美しいその時を切り取りました。