福岡県糸島市 司法書士 ブログ

九州大学の呪縛

もうすぐ県立高校の入試結果の発表です。

私の記憶では、昭和55年は3月19日だったはずです。

合格直後から母親からは「次は九大」と何度も言われました。

入学すると、担任教師は

「九大に入りたいと思っている人?」

と挙手を求めたのを覚えています。

校内ではなにかといえば「九大」。

大阪大学を志望する人に「九大に変えないか?」

東北大学を志望する人に「なぜ九大じゃないんだ?」

これらは教師の言葉です。

修猷館高校は九大に何人合格し、小倉高校は何人だった。

だから我が東筑はそれを上回るだけの・・・

こういう「指導」が日常的に行われるのです。

なんとなく感じたのは、教師同士あるいは学校間の競争の道具にされているということ。

「旧帝大と一橋大学、東京工業大学、神戸大学以外は進んでも価値がない」

「私立は早稲田と慶應はまあ仕方がないが、それ以外は大学ではない」

こういった類の教師の発言を聞いたこともあります。

なかなか歪んだ意識が浸透していて薄気味悪ささえ感じました。

自宅でも母親は「九大九大」です。

つまんねぇ高校生活だな・・・と思ったことを覚えています。

そのことを他校の女の子に話すと、

「あんたは恵まれとる。学力があって行きたい大学に行けるやろ。贅沢!」

と叱られたこともありました。

私自身は勉強することが嫌いではありませんでした。

でも、その目的が「九州大学に入る」ではないと思っていたのです。

では何が目的だったか? それが今もってよくわかりません。

単に、周囲の九大教信者に反発していただけなのかもしれません。

誰もが偏差値輪切りの思考に毒されていた時代です(今もそうですが)。

「九大九大」とお経のように唱えるのは仕方がないのかもしれません。

目論見通り九州大学の入試に落ちた際の母親の反応にほくそ笑む。

私も十分に歪んでいたように思います。

尤も、母親はそれ以上に手ごわかったのでした。

「あんたは九大に落ちたんだから、入った人たちを見返さなければならない」

昭和58年、「やれやれ」という感じで京都での学生生活が始まりました。

高校時代の記憶はあまり残っていません。

鬱屈した日々だったのでしょう。

そういう日々の中で若干は楽しんだのではありますが、書けないのが残念です。

 

 九州大学卒業といえば、シナロケの鮎川誠さん

 

 

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