司法書士=リベラル?????
「司法書士だからリベラル派ですか?」と訊かれたことが一度だけあります。
意味がわかりませんでした。
「司法書士だからリベラル」という公式があるとすれば変な話です。
私は大変なリベラル派です。原理主義者といえる次元かもしれません。
「超リベラル」といってよいでしょう。
だから答えは「はいそのとおりです」となります。
ただし,「あなたのいうリベラルの定義と私の考えるそれが一致すれば」
という条件つきではありますが。
自由主義
私が考えるリベラルは自由を尊重するというものです。
最近の我が国におけるリベラルとはちょっと違います。
我が国ではリベラルの反対にある立場を「保守」と呼んでいますが,これは正しいでしょうか?
保守主義を標榜する政党の代表は「自由民主党」です。
そう「自由」が政党名につくのです。リベラル政党のはずです。
しかし,我が国では自民党をリベラル政党だとはいいません。
これはかなりおかしな現象です。
特定の思想しか許容しない,つまり人の内面の自由を認めない立場の政党が「リベラル政党」と呼ばれています。
これは悪い冗談でしかありません。
その種の思想統制を当然とする政党が独裁的に運営する国にある名物は
1 秘密警察・・・独裁者や独裁政党に反対する人たちを取締るお仕事
2 収容所・・・・・独裁者や独裁政党に反対する人たちを捕縛して監禁する場所
そして,その収容所では「思想改造」なるものが行われます。
人の思いを国家が変えようとするーとんでもない話です。
★ 映画「レッズ」(1981年)から
私が私自身をリベラルであるというのは,なによりも思想・言論の自由を重要だと思っているからです。
上記のような思想統制を旨とする人たちの考え方もあってよいでしょう。
軍が国を統制するべきという考え方もあってよいでしょう。
自由を尊重する以上はこういうことになります。
日本のリベラル
今の我が国は自由でしょうか?
「ま,自由でしょうね」とは思っています。
時の首相を「おまえは人間じゃねぇ!叩き斬ってやる!」と罵りながらデモ行進をすることができます。
「安倍・菅両首相はコロナウィルスを甘くみており,誰かの利権と五輪開催しか頭の中になかった」
というような想像に基づく非難をすることも,その種の駄文を文字媒体に掲載することも自由です。
ところが面白いことに,こういう主張をする人たちにかぎってコロナ対策としてロックダウン的手法を求めたりします。
「十分な補償があれば私権制限は可能である」旨の一文を「リベラル派」団体に属する某法律業者が書いていました。
この人は
「安倍内閣は法律を都合よく解釈して勝手なことをする!」
と非難する一方で,現行法下でロックダウンをやろうというのです。
どれだけ憲法を無視し無理やり捻じ曲げようというのか?
これらの各事実に我が国のリベラル派の本質が滲出しているように思われます。
自分と反対の立場にある首相を「叩き斬って」もよいと考え,
事実ではなく想像を基にして政府非難を繰り広げ,
根拠法も示さずに私権制限を求める。
とても面白いと思います。きっとこの人たちは自由よりも統制を望む側でしょう。
今の我が国のリベラル派というものは,現政治体制下で自由を思う存分に享受しつつ,
実は自由を尊重しない人たちの集まりにみえてしまいます。
ネット上にみる言論統制好みの傾向
では世間一般の社会通念なるものはどうでしょうか?
我が国の多くの人は統制を決して嫌っていないような気がしないでもありません。
ネット上では特定の意見のみを是とし,反対意見を悪罵するような現象がみられます。
煙草を吸う人は犯罪者に等しいような扱いをされ,嫌煙権の主張のみが正しいという風潮があります。
これらは我が国の自由が戦いとったものではなく,突然降ってきたようなものだからかもしれません。
なんとなくではありますが,自由にふるまうよりも皆で同じようにする方が安心という印象も強いのです。
だから特定の意見に付和雷同したり,ある人がいうことは原則的に正しいような認識が定着し,
自分で考えることを放棄したような姿勢がみられたりするのかもしれません。
ネット上では「夫婦別姓が正しい」「親権は常に共同親権であるべきだ」という主張がリベラルだとされています。
それを批判しようものなら「保守的」「頑迷固陋」という非難を浴び袋叩きに遭いかねません。
しかし,アンケートで「夫婦別姓の制度が導入された場合に別姓を選ぶか?」と問うと,「選ぶ」と答える人は5%程度。
世間の認識は「夫婦別姓こそ正常で普通の婚姻関係のあり方である」というものではありません。
共同親権が固定化された場合に,離婚した父母が代理権を行使することに支障がないか,
一方が行方不明だったり非協力的だったらわざわざ家裁の審判を求めなければならないのか,
といったことは考慮されていないようにみえます。子の利益・福祉という観点はそこにはありません。
そして,抑々これらへの賛否がリベラルか否かを分ける基準のひとつになり得るのかという疑問もあるのです。
自由がなつかしい
以上のとおりで,私は今の日本における「リベラル派」(笑)の人たちのご意見も尊重します(賛同はしません)。
とはいえ,彼らを「リベラルである」とは認めません。彼らが自由嫌いであることは諸々の事実が物語っています。
この人たちが責め立てる「リベラル」ではない保守政党の政権は言論や行動の自由を完全に保障しています。
これが彼らの望む思想統制的政党の天下になれば・・・収容所行のトラックに乗せられてしまう人が続出するでしょう。
どうせまた「叩き斬ってや」ろうと考え,それを口にするに違いないのです。
ちょっと不満があれば政府や首相を罵ることでストレスを解消する。
これは一種のマスターベーションでしかありません。
というわけで「リベラル派」(笑)にとっては,現政権は大事な大事な存在なのです。
それにしても今の時代は窮屈になりました。すぐにワーワー騒ごうとする人でいっぱいのようにみえます。
なにかといえば言葉を切り取って「セクハラ」「パワハラ」と責めます。
切り取る言葉を懸命に探すような風潮は堪えられません。
映画やドラマでも変な自主規制に加えて性的あるいは暴力的表現を抑える傾向が顕著です。
人間である以上は性と暴力は避けられない問題なのに。
東映が不謹慎な映画を量産した時代はよかったな~と思うので,次の写真を。
★ 不良番長辰兄ぃの横にいるサングラスの女性は大原麗子さんです。
映画「不良番長」(1968年)の一場面から。