先日、ある高齢者施設を訪問しました。
目的は、法定後見制度について開始の審判を申し立てる準備です。
依頼者は高齢ですが、意思疎通は普通にできました。
家族のことについては、あまり触れてほしくない様子です。
申立てでは推定相続人の意見を明らかにする必要があります。
しかし、依頼者は家族には連絡をとってくれるな、というのです。
私の判断で、その旨の陳述書を提出し、推定相続人への意見聴取を省きました。
2人の子供はいずれもそう遠くない場所に居住しています。
しかし、依頼者とは没交渉のようでした。
家族間の問題をうかがい知ることはできません。
また、そこにどこまで踏み込むべきかも難しいところです。
制度の原点に立ち返って「本人意思の尊重」を基本姿勢にすることにした次第です。
私が受任する法定後見等開始の審判を求める申立てでは、このようなケースが多くなっています。
子がいても困窮している親に見向きもしない。
親も「子には連絡をとってくれるな」という。
母との間で心理的葛藤に苦しんだ私には理解できる面があるのです。
一方で、母に対する自分の姿勢が果たして正しかったかどうか。
こういう悩みを毎回のように感じます。
ところで、上記の依頼者に
「まだまだお元気で過ごせそうですね」
と声をかけたところ
「こんな状態で生きていて意味があるか。あんたたちは無責任に元気とかいうけど。
いのちなんかもういらんよ。早く終わって欲しい」
といわれてしまいました。
高齢者になって独力での体動も難しくなり、なおかつ経済的にも厳しい状況。
私の想像をはるかに超えた内面の葛藤があることを知りました。
★ 大河ドラマ「いのち」の主役を演じた三田佳子さん