私は「渡世の義理」というものを重視しています。
友人関係の継続もこの点が基準になっています。
無論、「義理」を重視するのは私の勝手でしかありません。
相手にも同じ姿勢を求めているわけではないのです。
でも、自ずと長続きする友人は「義理」を重視する人になっています。
それが、なぜか女性ばかりというのが特徴的かもしれません。
「渡世の義理」が描かれるのは任侠映画です。
それも実録モノではなく着流し任侠映画。
鶴田浩二さんや健さんが、義理のために刃をふるう映画です。
あれは、一種のファンタジーです。
「男はこうでなければ」
実は、そうありたくても無理なのです。
だからファンタジー。
理想像を描いている映画ゆえに、多くの人が拍手しました。
そう、理想の「男らしさ」を描こうとしていたのです。
理想ですから現実とは異なります。
男性が、映画で描かれる「男らしさ」など持っているわけではありません。
寧ろ、実録モノが描いた小心で嫉妬深い人物像が現実の男性かもしれません。
会社員時代にはそれを肌身で感じました。
一方、私の友人であり続ける女性をみると、非常に義理堅いのです。
別に、バレンタインデーに義理でチョコレートをくれるわけではありません。
お互いの出会いを大切にし、人格を尊重する。
そういう人たちです。
おそらく、一人とは五寸の関係でしょう。若干ですが、私が兄貴かもしれません。
もう一人とは、私が「姐さん」(姉さんではない)と相手を呼ぶべき関係です。
そういう関係である以上、色気が介在する余地はありません。
それが残念といえば残念のような気もしなくもありません。
けれども、そういう俗な感覚を超えたつきあいというのは、なかなかいいものです。
さて、人情はどうか。
人情は常に気にしています。
理屈は理屈ですが、人情も大事。
理屈で押し切ってしまうような若さはもう失いました。
人の心情を慮る=忖度することは、人同士のつきあいでは非常に重要なのです。
年齢を重ねてそれを理解できるようになった、というべきでしょうか。
★ 「博奕打ち 総長賭博」(1968年 東映)
早朝賭博ではありません。三島由紀夫絶賛の任侠映画です。