運動会にいい思い出があるか?
これがなかなか微妙なのです。
まず、幼稚園から小3までは徒競走はいつも5位か6位でした。
走者はおおむね6人です。ドベかブービー。
ところが、小4以降は悪くても2位で、多くの場合はトップ。
リレー競技にもたくさん出ています。
で、家族(つまりは両親)の対応です。
小学生の前半は豪華な弁当を作って観戦に来ることはなく、
昼食時間前に父親が迎えに来て、家で昼食を食べる流れでした。
よく憶えているのは、缶詰のドライカレーなどを温めたことがあったのです。
特に何か料理が並ぶわけではありません。
母が観戦に来たことはあまりなかったと思います。
幼稚園の運動会で、徒競走で最下位になったことを高校生のころまで
「恥ずかしかった」
といわれ続けました。
小学校後半くらいから「ちょっと本気で走ってみよう」と思ったのです。
友人の影響が大きかったように思います。
父親を早く亡くしたのに溌剌としている友人の姿になにか感じるものがありました。
本気で走ってみると、自分で思っていた以上の俊足でした。
リレー選手になり、運動会とは別に開催されていた「リレー大会」でも選手。
こうなると母親が観戦に来るのです。弁当持参です。
高学年になると騎馬戦(川中島)が行われます。
私は上に乗って戦う役。
大将以外にたすき掛けの選手は私とあと一人。
両親とも見に来ていました。
このとき、私は相手の大将と戦って負けています。
そのことを母から愚痴られたことをよく覚えています。
中学生になるとリレーや障害物競走で私の見せ場が多くなります。
もちろん母は見に来ます。もちろん弁当つき。
友人のお母さんに「英樹君はすごいですね」みたいにいわれたと嬉しそうでした。
各種競技にエントリーしたのは、単に好きな女の子の前でいい恰好をしたかったから。
両親の前で晴れ姿をみせてやろう!とは一度も考えませんでした。
好きな女の子が応援してくれず、あるいはいなければ、私は本気で走っていないと思います。
母が友人のお母さんに自慢できるような結果は出したくないとさえ思っていました。
だから母には運動会には来てほしくないという思いが強かったのです。
2位や敗戦という結果だと小言が待っていますから。
そして、1位になっても褒められることはありませんでした。
こちらも「どうですか?あなたが他人に自慢できるようにお膳立てしましたよ」くらいの気持ちでした。
母親は子を自慢のネタにする存在として扱う。
子はそれを知っていて冷ややかな気持ちを抱いている。
今思うと、寂しい母子関係です。
運動会シーズンを迎えると思い出してしまいます。