石破首相は選択的夫婦別姓に賛成の模様。
政府の与党である公明党は推進したい。
野党は概ね賛成。
自民党の中にも推進派が。
★ 野田聖子議員は賛成派 かつては自民党総裁候補でした。
このまま進むと、ニーズが少ないのに選択的夫婦別姓制度が導入されるでしょう。
そして、日本における家族制度の根幹が大きく変化することになります。
その必要性が疑わしいのに。
推進派の中にこういうことをいった人がいるのです。
「夫婦別姓は古い儒教的観念の残滓である」
よくもまあ嘘をつくものだと感心しました。
聴いた人は、「なるほど」と信じてしまう可能性がある発言です。
夫婦別姓の国が隣にあります。
そう、大韓民国です。
ここでは、今も儒教的な考えが支配的といってよいでしょう。
どこが「夫婦同姓は儒教の名残」なのか?
中国でも別姓です。儒教の総本山の中国で。
歴史をマジメに繙くと、世間で語られているのとは異なる事実に気づきます。
明治政府は、当初は夫婦別姓にする予定だったようです。
これは、儒教的思想のせいです。
これに対して反対する声が上がりました。
家族は同じ姓であるべきだ。これまでもそうだったじゃないか。
そうなのです。江戸時代でも姓はあったのです。武士でなくても。
古くから庶民にも姓はありましたが、表立って名乗ることができなかっただけ。
ずっと夫婦同姓でやってきたのが日本社会です。
何度も触れていますが、現行憲法では夫婦が男女いずれの姓を選ぶことも可能。
女性を差別することは一切しておりません。
単に、我々国民が社会的慣習の如く男性の姓を選んでいるだけ。
これは自由な選択の結果です。
その自由がないような非難こそ的外れでしょう。
我々は自らの歴史と文化を今否定する必要があるのか?
改めるには時機というものがあります。
この点も何度も書いていますが、夫婦が別姓で社会生活を送る慣習が定着したときです。
「教養ある法律家」でありたい司法書士なら、古典ともいうべき法律書を読んでいるはず。
そういう本では法がどうやって生まれるかは、ちゃ~んと説明してあるのです。
にも拘らず、「選択的夫婦別姓こそ正しい!」というからには、合理的な説明をしないと。
私は納得できる説明を受けたことが一度もないのでした。