予備校嫌い
司法書士試験の受験ではいわゆる予備校本が主要テキストとされています。
多くの人が「オート●」「デュープロ◆ス」「V●ジック」みたいな本をメインに勉強するそうです。
かく申す私も最初はある予備校本を使いましたが,試験の概要を把握すると使わなくなりました。
理由は簡単です。 おもしろくないからです。全然おもしろくありません。知的興奮とは縁遠い本です。
こういった「受験テキスト」と呼ばれる本は,一種の「受験マニュアル」です。
「とりあえず合格用の知識を詰め込みました」というイメージ。
ある本を読んでみると,誤植が非常に多く校正がまったく行われていないように感じました。
真に受験生のためを思って書かれているのかどうか?ちょっと疑問です。
予備校の講義もまったく利用しませんでした。
講師は受験のプロであっても法律のプロなのかどうか?
合格後に簡裁代理権取得のための認定考査の準備として予備校の教材を入手し,その解説を読んでみました。
そこには司法書士法22条と司法書士倫理22条を混同しているような記述がありました。
出された料理を食べるだけ
私が予備校の講義を利用しなかったり,そのカリキュラムに合わせた勉強をしなかったのは,
予備校のペースで勉強を進めると,予備校からの情報を得るだけの形に陥るからです。
私が知るかぎりでは,予備校頼みあるいは塾頼みの子供の学力はいまひとつ伸びません。
自分で課題を発見し,それを克服するのではなく,ひたすら目の前に出てくるメニューをこなすため,
学びから自主性が失われるからではないかと思っています。
予備校や塾をメインにする子供はおおむね高1くらいで学力が伸びなくなり,
壁に当たって跳ね返される傾向がありました。
自分としては,自分のペースで,かつ自分の課題克服を優先した勉強をする方が楽しく,
結果的に厚めの知識を手に入れることができると思っていたので,予備校に頼ることはしませんでした。
料理についていえば,誰かに調理してもらい,それを食べるだけというのは,
素材がもつ様々な可能性に目を向けていないことを意味します。
良い素材を自分がおいしく食べられるように,自分なりの工夫で調理をする。
そうすれば,次はもっと塩を控えめにしようとか,あのハーブを使ってみようと思うはずで,
工夫と改良を重ねて進化することを経験できます。
勉強もそうした方がいいと思うのです。
知識は厚く
厚めの知識というのは,読んだ本の質と読み方に基づくというのが実感です。
しっかりした本を読み,その結果として得られた理解は応用がききます。
試験であまりみたことがない条文にかんする出題があったとしても,
他の制度や趣旨との比較やそこからの類推により正解にたどり着くことが可能です。
一方で,マニュアル的な情報の羅列を旨とした本を読んでいると,単発的な知識は増えるものの,
他の知識との繋がりを意識することは難しいように感じます。
ただし,それなりの厚めの知識を手に入れておけば,知識の羅列でしかないマニュアルを読んでも
制度の背景にある考え方に気づくことができるように思います。
司法書士としては,次のようなマニュアルを使用することがしばしばあります。
使うのは司法書士になってから。つまり,試験に合格する前提として,これらのマニュアルを読んで
制度設計の趣旨や背景にある思想を理解できるような勉強が求められているということなのでしょう。
マニュアル的な本を使うのは,その前提になる知識を十分に身につけてから,というのが正しいようです。