私が受任する仕事は、生活保護受給者のものがかなりあります。
それを知った人が「先生は弱者救済に奔走しているのですね」といってくれました。
実は、これは勘違いなのです(発言者にも説明済み)。
私にはそういう意識はまったくありません。
依頼を受けた仕事をしているだけなのです。
それに、「弱者」という存在を作り、自分が「救済」者であると位置づけるのはヘンです。
ハッキリ書くと、自分が「強者」であることを確認している印象なのです。
そして、私の場合は、確実に報酬をいただいています。
これは救われる弱者と救う強者の関係とは異なる関係でしょう。
普通の契約であり、対等だと思うのです。
勿論、生活保護受給者は、私に対する報酬の支払をする資力がありません。
法テラスの支援を受けるのです。
しかし、この制度は社会が用意した平等・対等の関係を維持するためのセーフティネットです。
法テラスを利用することで、弁護士や司法書士と対等に契約を締結できる。
その法テラスの利用は、要件を満たせば、誰にでも可能。
たしかに法テラスの報酬は低めです。
後見等開始の審判の申立て書類作成についていえば、私の料金表の50%。
でも、私はその額で納得して「対等の契約」を結ぶのです。
だから100%の額を頂戴する場合と仕事の仕方に差があるわけではありません。
反対に、仕事の依頼を受け、報酬をもらうのだから・・・と卑下するような意識もありません。
依頼者との対等の関係を意識しているわけでもありません。
ただ、依頼を受けた仕事をするーそれ以上に何かを考えないのです。
★ 映画「護られなかった者たちへ」の1シーン
この映画は生活保護受給者を描いているそうです。
原作を一度読んでみようかな、と思っているところです。