1975年のシーズン、長嶋茂雄監督が誕生しました。
そのシーズン、讀賣ジャイアンツは球団史上初の最下位に沈んでいます。
★ ミスター
王選手の故障や堀内投手の不調が原因ですが、やはり長嶋茂雄選手の不在が大きかったのです。
翌年は、ファイターズの張本勲選手とライオンズの加藤初投手を獲得、リーグ優勝を果たしています。
その当時、投手は「先発三本柱」がローテーションを守っていました。
中3日での登板が普通に行われていたのです。
エースは完投した翌日も大事な試合であればベンチ入り。
場合によってはリリーフでマウンドに立つ。
こういう無茶をやっていました。
上記の堀内投手は、その前年までのプロ9シーズンで148勝を挙げています。
不調の1975年、27歳の堀内投手は10勝。その後は30歳のシーズンまで2桁勝利を挙げました。
ここまでで194勝。
しかし、その後の35歳で引退するまでの5シーズンで挙げたのは9勝に過ぎません。
★ カーブのキレが抜群だった堀内恒夫投手
先発投手は若い頃に酷使され、早々と引退するか、細々と現役を続けるような状態でした。
今は、中6日、つまり週1回の登板ペースが確立されています。
トレーニング方法の進化もあって、30歳くらいで一番力を発揮する投手が増えました。
MLBパドレスのダルビッシュ・有投手は36歳ですが衰え知らずの印象です。
NPBでも30代でバリバリのエースというケースは普通にみられるようになっています。
これは、やはり無茶な登板がなくなった影響が大きいと思うのです。
しかも、ここ数年は6回を投げればOK、100球程度で交代という傾向が強まっています。
週1回の登板で、投げるのが100球程度。先発投手は厚遇されています。
その代わりにリリーフ投手の酷使が目立つようになりました。
毎試合ベンチ入り。常に登板に備えて準備する。そして連日連夜の登板をこなす。
こういうブラックな働き方をするリリーフ投手は、一種の特攻隊です。
肩や肘を壊せばお払い箱、代わりの中継ぎ特攻隊員が酷使されます。
★ 復活して古巣を見返してほしい加治屋蓮投手
ドラ1でホークスに入団した加治屋蓮投手は2014年に入団後、しばらく芽が出ませんでした。
覚醒したのは2018年のシーズンです。なんと72試合に登板しました。
その翌年は30試合に投げたものの、前年のような働きができませんでした。
右肩痛が原因です。前年の過剰な登板の影響としか考えられません。
さらにその翌年は二軍でそれなりの成績を出しましたが、一軍登板は少なく、
そのオフにクビ!タイガースが採用したものの、往時の球威は蘇っていません。
1975年の長嶋ジャイアンツでは、小川邦和投手と高橋良昌投手の酷使が目立ちました。
それでも両投手はともに53試合の登板にとどまっています。
地元ホークスでいえば、岩嵜翔投手は2017年に72試合に登板しています。
ルーキーだった甲斐野央投手は2019年に65試合に投げました。
二人とも故障しました。
★ もうひと花もふた花も咲かせてほしい岩嵜投手
岩嵜投手は今季はドラゴンズに移籍しましたが、活躍できていません。
甲斐野投手は2020年のシーズンは一軍登板なしに終わっています。
ホークスに限らずリリーフ投手残酷物語っぽい起用を多々目にします。
NPBにこそ働き方改革が求められるように思われます。
★ジャイアンツ時代の鹿取義隆投手
王監督時代のジャイアンツで酷使に耐え抜き、ライオンズ移籍後も活躍した
鹿取義隆投手のような鉄腕はそうそういないのです。
「一将功成りて万骨枯る」
この言葉を思い浮かべるシーズンが少なくないのです。
短い現役生活を強いるのであれば、年俸面でしっかり報いるようにできないものか・・・
こう思いつつ、日々のリリーフ投手陣の奮投ぶりに胸を熱くしているのです。
★ 左はカープをクビになった後に独立リーグに1年在籍
その後にホークスと育成契約、今季は支配下登録を勝ち取ってリリーフとして大活躍の藤井皓哉投手
右は昨季優勝の立役者であり、今季も首位独走のスワローズで中継ぎエースの清水昇投手
今季は昨季のような過密登板(72試合)になっていません。スワローズの投手起用の見事さでしょう。