高校に入ってどのくらい経過したころだったか・・・
高2だったような記憶もあるのですが,よく覚えていません。
覚えているのは,誰にどういわれたか。
「あんたはどこか虚無的なところがある。なんか諦めてるみたいに感じる」
というような言葉だったという程度ですが,そのときは意外に感じたので記憶に残っています。
国鉄筑豊本線(現在はJR福北ゆたか線)に乗っているときでした。
虚無・・・Nihilismusを意識したことはありませんでした。
もちろん彼女もその内容を明確に意識していたとは思えません。
おそらく8歳くらいから私をみてきて,どこか投げやりで諦めたものを感じとったのだと思います。
それを「虚無的」と表現したのではないでしょうか。
そのことは,当時の私自身は自覚していませんでした(今はそうだったと認めます)。
今でも私の態度は「クール過ぎる」と親友にいわれてしまうのです。
何事に対しても熱くなることができず,冷めていて斜に構えているーということかもしれませんが,
好んでそうしているわけではないのです。
私はどちらかといえばよく喋るし,笑いをとることをいつも考えています。
しかし,喋りながらも笑いを狙うということが,夢中で熱心に喋っているわけではなく,
冷静にジョークを決めるタイミングを計っているということかもしれません。
そうだとすれば,喋りもすべて計算ずくということになるでしょう。
あまり自覚はありませんが,よくよく考えるとそうなのかもしれないと思います。
もって生まれた個性ではなく,子供のころからの生活の中で作られてきた性格なのでしょう。
それが役立つこともあります。相手の話を冷静に聞く。これはできます。
反対に,熱意を籠めて訴えるということはあまり好きではありません。
熱く燃えてみたいという思いがないわけではないのに,それが照れくさく
「柄じゃないよ」
と思ってしまいます。
女性に対しては常にそうでしたが,それには別の原因もありました。
気づくことができたのは闘病の過程で記憶を掘り起こす作業に取り組んだからです。
心の中の障害が消えた今なら女性に対して熱くなることができる・・・とはいきそうにありません。
既にできあがった性格はそうそう変わらないようです。
とっくに可塑性を失った初老のワタクシでございます。
★ ニヒルといえば,このお二人でしょう。天知茂さんと成田三樹夫さん。
天知さんは1985年に54歳で,成田さんは1990年に55歳で亡くなりました。
「ニヒルは早死にする」といわれたりしました。