写真は我が家の黒猫ノワール13歳。
濡れているわけではありません。
こういう毛色・毛艶なのです。
黒猫の美しさはこの漆黒の毛色にある。
とはいえ、ノワールが黒猫ではなくても愛しい存在であることに変わりはありません。
私が黒猫にこだわりを持っていることには理由があります。
社会人2~3年目の頃に黒猫と知り合いになりました。
ノワールと同じメスです。
この黒猫がなついたので、ベランダに遊びに来るのを容認しました。
食事も提供しました。
やがて黒猫は仔猫を生みました。
仔猫は徐々に減り、1頭だけになりました。
親子で出勤する私をじっと見ていた朝。
「帰ったらたっぷりご飯を用意するからね」
これが彼女たちとの別れになるとは思いませんでした。
かわいく人懐こい猫だったので、きっと誰かが飼ってくれたのではないか。
そう思いながらも、十分なことをしてあげられなかった悔いが残っているのです。
ノワールを迎えたのは、その黒猫に対する渡世の義理を果たす意味もありました。
ノワールに幸せな暮らしを、という一念でした。
それから13年目です。
ノワールは少しは満足してくれているのか?
勝気で、先住猫との折り合いはあまりよくありません。
先住猫がいない時間に私を独占したがるノワール。
気を遣わせているのではないか。
ノワールのことは常に気にかけています。
もしかすると、黒猫の「桎梏」から今も逃れられない私なのかもしれません。