福岡県糸島市 司法書士 ブログ

ライバル視・敵視

ライバル視

どの世界にも相手をライバル視する人がいるものです。

かく申す私も会社員時代にライバル視されました。

つまり、「出世競争の相手」ということです。

私をライバル視していた人は知らなかったのでしょう。

私が社内の昇進・昇格にまったく興味がなかったことを。

私は最初から「降りていた」人間です。

争うまでもないのです。

ですが、ライバルがいると闘志がわくもの。

その人たちは仕事を熱心にやりました。

「やる気」に乏しい私の存在が結果的には社業に貢献したようです。

一方の私は、といえば、誰をライバル視したこともありません。

これは今の今まで一度もないのです。

私は私です。他人と比べてどうか?ということを考えても仕方がありません。

嫉みや妬みの感情は闘志に繋がる一方、意味不明の憎しみを招くこともあります。

特にそれを意識したことはありませんが、私は誰のこともライバルだとは思わないのです。

よくいえば超然としていることになるでしょう。

でも、実は他人に無関心というだけなのかもしれません。

 「夢一族 ザ・らいばる」は東映映画の一本

  興行的にはまったく当たらず、併営のトラック野郎シリーズもあおりを食って終了。

  実は、サスペンス小説の名匠コーネル・ウールリッチが原作なのですが、たしかに映画の出来は・・・

敵視

もうひとつ、誰かを敵視するーこれも経験していません。

「ああ、しかたがない人だな」

「これ以上はお相手したくないな」

と呆れることはあっても、敵視することはないのです。

これもおそらくは他人への関心の低さのせいでしょう。

対象者のことを敵視するまでじっくり考えることがないのだと思います。

一方で、私が敵視されている例はあった(今もある?)ようです。

敵視もまた、多くの場合は嫉みや妬みに基づくことが多いのです。

あるいは、単に気が合わないとか性格の不一致に起因するのです。

嫌いであれば、接触しない。これが一番です。

私はそうしています。

ある程度の年齢になっても、露骨に態度に出る(あるいは出す)人もいるようです。

幼稚なのか、それとも私と直接戦いたいのか?

後者なら「挑発」ということになります。

私はそういう態度に対しては、無視することにしています。

相手にするだけ損だからです。

そうすることで、益々敵視されるでしょう。

ご本人が疲れるだけだと思いますが、他人のことゆえ

「どうぞご自由に」

と思うほかありません。

嫉みと妬み

上記のように、ライバル視と敵視に共通するのは、相手に対する嫉みと妬みです。

こういう感情がなぜ生まれるのか?

それは、コンプレックスがあるからです。

「どうしてアイツの方が儲かるんだよ!クソッ!」

「あの野郎の方が俺よりも評価されるのはおかしい!クソッ!」

「なぜ、あんな奴がモテるんだ!クソッ!」

こういう「クソッ!」は、相手に「負けている」という感情の顕れです。

そういうときに「ナニクソッ!負けてなるものか!」と闘志を燃やすのはいいでしょう。

でも、相手を憎むのではなく己の弱さを嘆き、それを克服してはどうか。

他人を悪く思うよりも自分が努力する動機にすればいいのです。

多くの人が他人を理不尽な理由で羨み憎み、そこでとどまってしまいます。

そういう傾向が強くなっているような印象もあります。

まったくもって寂しい時代です。

 

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