福岡県糸島市 司法書士 ブログ

40年目のPLASTIC LOVE

1984年4月、2回生になった私は衝撃を受けます。

それは、竹内まりやさんのアルバム“VARIETY”を聴いたことによるのです。

収録曲の“PLASTIC LOVE”に戦慄を覚えたのです。

今やこの曲はシティポップの代表曲として海外でも大人気です。

2010年代に入り、再び注目されるようになりました。

 

1984年の 4月といえば、もうひとつの衝撃的な出来事がありました。

容姿も性格もここまで私の好みの人がいるのか?

と思ってしまう女性に出会っています。

何度か2人で会いましたが、私は何もいわないことにしました。

「好きです」

とか、それに類する言葉を一切発しないまま。

彼女が心の中で求めている男性像には私は合わないと思ったのです。

その男性像に近づくのも無理だろうと。

1歳年上の女性でした。

 

思えば、私はずっと年上の女性を求めているように思います。

幼い頃によく遊んでくれたのは、近所の3歳上の女の子でした。

従兄弟姉妹の中で私を一番かわいがってくれたのは4歳上の女の子。

そういう幼少時の原体験の影響なのか?

妻が3つ年上で、親友と呼ぶべき友は4つ上の女性。

反対に年下の女性とはどうもうまくつきあえませんでした。

 

10歳上のまりやさんにもときめきを抱いたのを覚えています。

1979年、14歳の私はテレビのまりやさんにゾクッとしたのです。

「輝くレコード大賞」新人賞の発表時でした。

他のアイドル歌手とは明らかに違う雰囲気のまりやさん。

「後輩諸君、今日は応援ありがとう」

と慶應義塾大学の軽音楽部の後輩に語りかける低音の声。

10歳上のおねえさまに少年は憧れを抱いたのです。

 

まりやさんは、その後に歌手活動を休業し山下達郎さんと結婚。

そして、帰ってきたまりやさんが歌った“PLASTIC LOVE”

その歌詞の世界に異様に惹きつけられたのはなぜなのか?

おそらく街の底を漂うような感覚にしびれてしまったのだと思います。

また、当時の私が女性に対して感じる“LOVE”は所詮“PLASTIC”なものでした。

それを指摘されたような気がしたのではないか。

人の心の裏を抉り出すまりやさんの詞は“PLASTIC”なものではないのです。

間違いなく“REAL”で“SHARP”なことばだったのです。

来年には10年ぶりのライヴがあります。

前回同様に私はチケットを確保していて、楽しみに待っています。

でも、その次がまた10年後・・・?

そうなると、私は古希を迎え、まりやさんは傘寿。

さて、どうなるでしょう?

ブログ一覧へ戻る

お電話

メール

ページの先頭へ
Loading...