ほとんどの都道府県の司法書士会はADR(裁判外紛争解決)をやっています。
これは、司法書士会で調停を行っているということです。
そこで成立した合意について、執行力を付与する法制が施行されました。
執行力の付与、つまり、合意書に基づく強制執行手続を可能にするということ。
手順としては、①ADRにおいて合意成立(執行可能という合意を含む)
→②債務者側の債務不履行があれば、債権者側が裁判所に執行決定を求める申立て
→③それを認める決定 →④強制執行 という流れになります。
合意の中で「債務不履行があれば執行できる」という合意をしておかねばなりません。
そうすると、「合意書の条項の作り方をどうするか?」が問題になります。
というわけで、我が福岡県司法書士会のADRセンター運営委員会では、議論を進めています。
このように、法務省の認証を受けた民間調停機関の役割は拡大する方向にあります。
たとえば、法科大学院生等のシェアが高い民事訴訟法の教科書にもそう書いてあります。
ところが、大胆にもADRセンターを
「時代に合わなくなった組織」
「年間1~2件しか調停の依頼がない。10件、20件とあれば手が回らない」
と述べた雑文を広く公開した某士業の方がいらっしゃるのです。
そして、「予算型の組織は、必要性がなくなっても生き残ってしまう」と論じました。
その組織を自分の決断で潰したそうです。
ご丁寧にも有名な経営学者の書物まで引用していました。
この雑文はかなり話題になりました。
その士業の上部組織では色々な声が聞かれたそうですが、ここには書かないことにします。
潰すという以上はひきとめられないので、どうぞご自由に。
こういう結論になり、ある地方の某士業が運営するADR組織はなくなりました。
上記したようにADRは広く利用される方向にあるのです。
そうでなければ、わざわざ法改正をして執行合意に関する定めを設けるはずがないのです。
たとえば、「離婚テラス」のような離婚に絞った調停機関も生まれています。
かなり「盛況」のようです。
「潰す」という発想の前提には、ADRが利益を生まないという事実があるようです。
上記雑文には、英米ではADRは儲かるが、我が国では難しいと書いてあるのです。
はて? それは本当ですか? どうもこの点は事実を踏まえていないようです。
英米ではADRの担い手が多いだけ。 大きな利益を生んでいるわけではありません。
司法書士にせよ、なになに士にせよ、果たして利益のためにADRをやっているのか?
それはありえません。
だから、「儲かるか儲からないか」という基準を持ち出すこと自体が誤りです。
多くの司法書士は簡裁代理権の付与を受け、「紛争解決に携わる士業」の一員となっています。
裁判員裁判の裁判員就任対象から除外されているのも「専門家」ゆえ。
そういった専門家としての職責と社会貢献を図る意識ーこれしかありません。
紛争解決に関わることを拒めば、司法書士の職域は狭まります。
「司法書士に簡裁代理権を付与したけれど、全然ダメじゃないか。
代理権はもういらないよね。登記に専念してくださいね」
法務省から、世の中からそういわれてしまうでしょう。
諸先輩が努力した結果、簡裁代理権を獲得しました。
それにより、債務整理や賃貸借トラブルの解決で司法書士は依頼者の期待に応えています。
それができなくなったらどうなるのか?
依頼者にとって身近で敷居が低い司法書士事務所を利用できなくなります。
もちろん、私のようなタイプの司法書士は「メシの量」が減る結果になるでしょう。
雑文氏は、我が国には裁判所における調停制度があることにも触れています。
どうやら、ADRを不人気ということにして、ADRセンター廃止を正当化したいようです。
はて? 英米でも裁判所で調停をやっているのですが・・・ご存じないのか?
上記のような盛況のADR機関も存在します。本当にご存じないのでしょうか?
「紛争解決に携わらずして法律家なのか?」
これは、ある高名な研究者からの司法書士に対する叱咤の言葉です。
私は、自分自身を法律家だとは思いません。
けれども、紛争についてのご相談を受けた場合は、できる対応を必ずしています。
そういうニーズがある以上は放っておけません。
多くの司法書士はそういう感覚を持ち合わせていると思います。
ただ、慣れていないから腰が引ける-これが現実かもしれません。
だったら、慣れるようにすればよい。それだけです。
最後に、上記の「雑文」には「渦中の栗を拾うことはしたくない」と書いてありました。
ネット記事で「前門の虎、肛門の狼」と書いたものを読んだ直後でした。
それゆえ「渦中の栗」程度では笑わずに済みました。
それにしても「火中の栗」を「渦中の栗」とは・・・