福岡県糸島市 司法書士 ブログ

1978

ターニングポイント

1978年, 私は13歳, 清純派の中学2年生になりました。

この年は, 私にとって, それなりに意味のある年だったようです。

少し真面目に勉強するようになりました。

中1の頃は,なんとなく適当にやってもそこそこの成績で,「まっ,いいか」と思っていました。

中2になって,  ちょっと真面目にやるか, と思ったのには理由があります。

それは, 自分が小6の頃から意識していた女の子と同じクラスになったからです。

「仁義なき戦い 広島死闘編」で北大路欣也さん扮する山中のセリフにこういうものがあります。

「ワシも恰好つけにゃなりませんけぇ」

彼女にいい恰好をみせたかった。勉強の動機はこれです。

息抜き

こうしてちょっと真面目に勉強するようになった私は,塾も移籍しました。

理由は,通っていた塾の先生のうち一人が亡くなったからです。

その先生が亡くなると面白くないのです。

頬はいつもビクビク動くし,カメラを写真機,アルバムを写真帳とわざわざ丁寧に日本語訳するし,

「英語」を「ぃえいご」,鉛筆を「ぃえんぴつ」と発音するので,笑いのネタにできたのです。

ネタの仕込みができなくなったのでその塾をやめることにしました。

実は,私は塾では息抜きをしていたのです。家が息苦しかったので。

新しい塾では他校の女の子と仲良くなれ,もっと楽しく息抜きができるようになりました。

そのほかの息抜きのひとつにドラマ鑑賞がありました。面白いドラマをみている時間は

その世界に浸ることができます。

その意味で1978年はまさに最高の年でもあったのです。

白い巨塔に飢餓海峡

1978年6月,「白い巨塔」の放映が始まりました。

主演の田宮二郎さんの演技はいうに及ばず, 脇役の俳優さんたち誰もが絶品の名演。

特に鵜飼教授役の小沢栄太郎さん,財前又一役の曾我廼家明蝶さん,岩田重吉役の金子信雄さんが

揃う場面は最高でした。ほかにも大河内教授役の加藤嘉さん,柳原医師役の高橋長英さんなど,

素晴らしすぎる演技をみせてくださったのです。

原作とはキャラクターが異なる鵜飼教授・財前又一が完全にピタリとはまっているのは,

演じる役者さんの実力でしょう。後日になって作られた作品でも立派な役者さんが演じてはいますが,

残念ながら人物造形の深みは小沢栄太郎さんたちの足下にも及びませんでした。脚本のせいかな?

なお,リメイク作にかんしては,妻の予言どおりに3回でみるのをやめました。

演出・脚本ともに田宮版に遠く及ばなかったからです。

田宮版は,原作にはない財前の愛人との心の交流や母親への思慕などを描き,財前五郎という人物に

深みを与えています。原作を超えるドラマがあるとすれば,それは田宮版「白い巨塔」でしょう。

私は,このドラマをリアルタイムで視聴することができたうえに, そのあとの22時の時間帯からも

凄いドラマを楽しんでいました。

それは「飢餓海峡」です。主人公は犯罪者犬養多吉で山崎努さんが演じました。追う刑事が若山先生。

暗い情念に満ちた作品ゆえ,今の軽く表層的なドラマを好む人は敬遠しそうですが,本物の人間ドラマです。

ちなみに,私は主人公が使う偽名「樽見京一郎」をまさに偽名として使い,女性とつきあったことがあります。

ただし,樽見京一郎=犬養多吉とは異なり,犯罪には一切手を染めていません。念のため。

1978年の9~10月の土曜日の夜は「白い巨塔」→「飢餓海峡」で大満足でした。

この年の春先にはNHKドラマ人間模様で「事件」が放映され,ここでも若山先生の演技にしびれました。

劇場では「野生の証明」をみています。健さんよりもズーズー弁の田舎ヤクザをやった梅宮辰夫さんと

ニヒルな成田三樹夫さんを「カッコいいなぁ」と思った私です。映画そのものは“?”でした。

以前の記事に書きましたが,竹内まりやさんのデビューも1978年です。

1978年は私にとってなかなかいい1年だったのです。

満たされない日々

それでも私は満たされないものを感じていました。

いくら素晴らしい映画やドラマをみても小説を読んでも,です。

当時はそれが何であるかがわからず,焦燥感を覚えたこともあります。

そのせいかどうかはわかりませんが,優等生の仮面を利用して,それなりに悪さをしました。

ただし,犯罪には一切手を染めていません。念のため。

ある女の子に言われました。

「あんたはタチが悪い。優等生ぶって先生をだまして裏で悪さする!」

後日,高校進学後にはこの女の子にこう言われました。

「あんたはどこか虚無的なところがある。なんか諦めてるみたいに感じる」

40代になって,この女の子が私の本質を見抜いていたことに気づきました。

少年時代の私は何に満たされなかったのか?何を求めていたのか?

今はわかります。それは「愛」です。

愛し方は人それぞれなれど,普遍的なものもあるでしょう。

他者への思いやり,他者を尊重する心,いつくしむ心。

私が欲していたのはこういう「愛」で,それを求めた対象は家庭でした。

1978年当時の私は,ドラマや映画の中に「愛」を探していたのかもしれません。

懸命に。

 

 

 

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