司法書士は「身近な暮らしの法律家」・・・らしいです。
司法書士制度150周年記念の記念に作ったクリヤフォルダにそう書いてあるのです。
作ったのは福岡県司法書士会。
私も会員ですので「身近な暮らしの法律家」みたいです。
とはいえ、「法律家」を名乗るほどの学識を備えていると胸を張れるか?
私はとりあえずは遠慮しておきたいと思っています。
この「法律家」ということに関し、面白い論文があります。
その一部を抜粋してみます。
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前略~もっとも、残念ながら総体としての司法書士集団は、非定型な業務には
及び腰になる傾向が強まり、法律家集団に脱皮しきれていないのかもしれないが~後略
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別の論文では以下のような指摘もなされています。
司法書士の法律家性という点に絞って抜粋しました。
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司法書士に対する簡裁代理兼が2002年に与えられ、法律家としての立場を元に、
伝統的な不動産登記・商業登記に留まらず、様々な業務に職域が広がっている。
そこまでは良いのだが、問題は司法書士の「法律家性」である。稲村厚は、司法書士が
ADRだけでなく簡裁代理の業務を敬遠しつつあるのは、結局は、法律家としての葛藤に
対峙する胆力が鍛えられていないのではないかと述べている。
~中略~
司法書士サイドがプライドだけは法律家だが、社会的には法律家としての職責を十分に
果たそうとしなければどうだろうか。法律家と呼ばれるに相応しい活動をしていないのに、
ぼんやりと権限拡大を夢見続けているようであれば、気が付いたときには、社会から
必要とされていない存在として取り残されかねない。
~中略~
争訟性のある、あるいは争訟性の高い紛争に向き合う準備ができていないから、
もめごとにまきこまれて疲れるのはいやだから~中略~それは、司法書士自身が、
自らの法律家性をあきらめるということを意味する。それで良いのだろうか?
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上記の記述を読む限り、法律家であることの前提条件は
「紛争性がある事件に関与する能力を有すること」
のようです。
そうすると、少なくとも簡裁代理権を有しなければ法律家たり得ないことになります。
簡裁代理権がない限りは、紛争性がある法律問題の相談を受けることができません
(仮に、権限なしに相談を受けていると、非常にまずい問題が起きてしまいます)。
たとえば、債務整理でいえば、破産手続きの書類作成は司法書士なら可能ですが、
貸金業者との間で交渉するには簡裁代理権が必要です。
次に、簡裁代理権を取得しても、それを積極的に使うことが必要ということになるでしょう。
「認定司法書士」であることがアクセサリー状態では法律家を名乗るのは厳しそうです。
尤も、気概はあれど機会がないのは仕方がないのですが、機会の作り方はいくらでも工夫できます。
以上を前提にした場合、「身近な暮らしの法律家」は福岡県にどのくらいいるのでしょう?
私は、プラス要素として学識が必要だと思っています。
この要素を加えると、「身近な暮らしの法律家」はごくわずかになったりして(笑)。
私自身はネゴシエーターとしての経験には自信を持っていますが、学識には自信がありません。
よって、法律家を名乗ることは当面は遠慮しておこうと思っています。
なお、上記の各論文には司法書士の学識を云々する記述はありませんでした。