熊本県で県立高校の朝の課外授業が廃止されるそうです。
私は福岡県の県立高校出身ですが、この課外授業は大嫌いでした。
なぜか?
まず、朝は眠いのです。
一応は進学校の生徒らしく予習・復習をきっちりやっています。
しかも、当時の国鉄は利用者の利便性を考えていませんでした。
若松駅から折尾駅に向かう筑豊本線の電車のダイヤはすさまじかったのです。
かなり多い折尾駅利用の通学生のことなど一切考慮されていません。
7時19分発で折尾駅には7時37分到着。駅から徒歩で高校まで10分程度。
8時前には高校に着いてしまうのです。
次の便では遅刻するようなダイヤになっていましたから酷さがわかるでしょう。
朝の課外授業を受けるとなると、家を出るのが午前6時くらいになります。
冗談ではありません。最初だけ受けましたがやめました。
午後の課外授業も受けないことにしました。
それでも高校からは特に「指導」はありません。
このあたりはかなり自由でした。
私が卒業してしばらくしたら、課外授業への参加が強制になったそうです。
なぜなのか?
おそらく、ということで理由を考えてみました。
1 学校側が生徒の自主的な学びを信用していない。
2 生徒が自分自身で学ぶよりも学校側のメニュー提供を受ける方がラクだと感じる。
3 保護者は課外授業に参加しているというだけで、我が子が学んでいると思える。
4 教員たちが自らの努力により受験で成果を出している理由づけに使える。
それぞれの立場が相まってなんとなく課外授業を肯定する方向性が出たような気がします。
私が受講しなかった理由は次のとおりです。
1 自分が取り組んでいる参考書や問題集以外に教材が増え、力が分散される。
2 朝は眠いし、夕方は疲れる。自宅学習に影響が出てしまう。
3 授業は学びのとっかかりに過ぎないと思っている。自習が大事。
上記の私なりの理由の中で、最大のものは3でした。
予習して授業で自分の学びを確認し、質問すべき点を質問する。
そして修正が必要であれば修正する。
授業で示唆を受けた点や理解できなかったことを、昼休みや放課後に先生に尋ねる。
そのうえで自習して身につける。
このパターンが基本姿勢でしたので、余分なことをする余裕がなかったのです。
学ぶことは自主的でなければ、ほぼ身につきません。
上から与えられたメニューをこなしていれば、受験には成功するかもしれません。
けれども、自ら学ぼうという流れはできません。
塾や予備校に頼り切っている生徒が大学で伸び悩むのもこれが原因です。
与えられた物を咀嚼は出来るけれど、自ら素材を料理することができないのです。
こういう人たちは大学の先生方からこう言われます。
「お勉強はできるんだけどね」
評点で優(A)をたくさんとるのは上手だけれど、論文を書かせたらダメという意味。
講義で聴いたことを答案に再現はできるのです。
でも、自分なりに論を立てるようなことができないのです。
大学の先生は通りいっぺんのことを講義で喋るだけ。
そこから学びを深めたり、広げたりするのは自分自身です。
先生方は質問すれば、どんどん教えてくれます。
高校生はその大学での学びの一歩手前です。
自学自習に力を置くのが当たり前のように思います。
もっとも、高校の課外授業が映画の「課外授業」みたいな内容だったら?
もちろん私は喜んで受講したでしょう。
★ 「課外授業」は1975年のイタリア映画
★ 「個人教授」は1968年のフランス映画
★ 「青春の門」(1975年東宝)の伊吹信介役の田中健さん(右)
左の関根恵子さんの役は梓旗江という教師役。
この先生がセクシーで・・・
当時の関根さんは19歳くらいのはずです。